盤上のメタモルフォーゼ
具体例をあげよう。ある時は相手に襲いかかる剣豪に、また、ある時はゴールを死守する守護神に、はたまた、ある時は敵の心を読む心理学者になることが可能だ。例えば、将棋界のスーパースター羽生善治。おっとりとした風貌と日常のどこか恥ずかしがり屋なふるまいをご存じの方も多いだろう。しかし、いったん盤の前に座れば、そんな穏和な人柄は異次元の空間に吹き飛ばされてしまう。彼は、獲物の喉元に食らいつくライオンに変貌してしまうのだ(関連過去記事)。あわれな敵は、あえなくも倒れてしまう。
プロアマを問わず、盤上でのメタモルフォーゼは将棋の魅力の一つだ。ならばである。ならば、普段とはまったく逆の自分に変身してみてはどうだろうか。
内気なあなたにおすすめ本
そこで今回は、特に内気な方にこの本を紹介する。日頃、誰かと行う会話は、ついつい押され、言いたいことの半分も主張できないあなた。常に「受け」に回ってしまう機会の多いのあなた。好きでもないミュージシャンの名前を挙げられ「○○っていいよねえ」と言われたら、心になくも微笑み、頷いてしまうあなた。そんなあなたは、このタイトルをどう思いますか。いわく「パワー中飛車で攻めつぶす本」。
驚愕の帯
さあ、あなたも攻めつぶしていただきたい。この本、タイトルだけでなく、その帯もすごいセリフに満ちている。画像を用意したのでご覧いただきたい。いわく「君はこの戦法を受けきれるか」である。何とも頼もしい発言だ。さらに、帯はあおる。「限りなく必勝に近いすごい戦法、ついに登場!」である。この自信に充ち満ちた佇(たたず)まい。タイトルと帯だけでゴジラとガメラをしのぎそうな勢いである。著者は鈴木大介
ガイドの息子も大ちゃんファン
著者は平然と自らを「筋(スジ)が悪い」と公言する珍しいプロ棋士だ。これ、英会話スクールの講師が「僕は発音が悪いんだよね」と語るようなもの。普通隠したくなるものでしょう。でも隠すどころか「売り」にしている感じさえあるのだ。これは、すごい自信の裏返しではないか。筋なんか関係ないね。この戦法はすごいんだもん。いや、もちろん彼自身はそんなことを語ってはいないのだが、この筋悪発言の陰には己の戦法に対する絶大なる信頼が見えるのである。私はそんな大ちゃんの大ファンである。ちなみにガイドの家族はみんなファンである。
まさしく攻めまくるパワー中飛車
さて、肝心の中身である。初手はいきなりの「▲5六歩」。いくぜ中飛車、どんなもんだ!というスタートだ。まさしくスタートダッシュ。相手が飛車先をついてくれば、続く手は「▲7六歩」。角道をあけ、どうだ、角交換するなら、してみろと胸を張る。そして、飛車を自陣のど真ん中にドカーンと運ぶ。しばらく進んだ右図の局面をご覧いただこう。先手(下側)がパワー中飛車である。注目してほしい駒には色をつけている。赤が王将、黄色が守備陣、緑と青が攻撃陣だ。玉の囲いはスピード重視の「片美濃囲い」。「金」「銀」一枚ずつで玉を守っている。レフトウイングのディフェンスは「金」一枚。「角」交換は望むところ、この局面ではすでに駒台に乗っている。「飛車」はセンターボトム。すきあらばレフトへの「飛車」転回も視野に入れた典型的な攻撃重視の戦法である。「銀」と「桂」がセンターとレフトをにらみ、いけいけドンドンと太鼓を打ち鳴らしての合戦だ。
詳細はこの本で確認していただくとしても、その骨太の方針はご理解いただけたと思う。そう、「とにかく攻めろ」である。しかし、である。しかし、骨細には見えるが、守りもしっかりしているのだ。特にレフトの「金」が効いている。この一枚で相手の飛車の侵入を防いでいる。言わば、一枚万里の長城だ。攻めに軸足を置きながらも、がっちり守っている。バランス感覚は十分なのだ。
あなたは盤上の弁慶になる
あなたは盤上の弁慶だ
いかがであろうか。タイトル、帯、そして著者の人柄、骨太の方針。採用してみたくなる戦法ではないだろうか。このパワー中飛車を使いこなせば、内気なあなたも怪力無双の武士になれるのだ。言わば、盤上の武蔵坊弁慶である。そうなれば、相手は恐れおののき、投了間違いなしだ。わくわくするではないか。えっ、牛若丸が来たらどうするかって?そんなことは考えなくてけっこう。あれは五条大橋でのこと。ここは盤上、ひらりと飛び乗る欄干などありはしないのだ。思う存分、どっしりかまえた弁慶様に暴れ回っていただこう。
大ちゃんの揮毫「清粋」
実はわが息子は所蔵本に、大ちゃんのサイン(揮毫/きごう)をもらっている。息子の宝物である。どうそ、ご覧いただきたい。いわく「清粋(粋清)」。純粋で清らかなことである。良い言葉だ。残念ながら、ガイドはそんな人生は送れていない。しかし、盤上でならば、そんな生き方もできるかも知れない。今日もメタモルフォーゼを駒に託して指すのみである。
ぜひ、一読願いたい棋書である。
了
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追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。