22歳、ヨーロッパ生活に終わりを告げる
スウェーデン時代
「スウェーデン時代はもう穣さんと付き合っていて、当時彼は日本に半分帰ってるような状態だったんです。だったら私も日本に帰って、カフェで働こうかなと。もう沢山踊ったし、ダンスはいいかなと……。そこでは恋を取ろうとしたんですね(笑)。22歳でした」
久しぶりに戻ってきた日本の地。本気でダンスを辞め、新たな生活を始めるはずだった。ところが、一ヶ月後には舞台に立っていた。
「やっぱり踊りたくなっちゃうんですよね(笑)。当たり前ですけど」
ヨーロッパで出会った北村明子から声がかかり、彼女の作品『Three Temptation』に参加。また古巣のクルベルグ・バレエから呼ばれては、韓国や台湾、オーストラリアまで駆けつけ、ワールドツアーの舞台に立った。気付けば、フリーのダンサーとして多忙な生活を送っていた。
そんな折、初めて金森穣作品に出演する。2003年に上演された『no・mad・ic project』だ。
「そのときはまだプロジェクトだったので、本当に楽しかった思い出しかないんですよね。それがいけなかったのかもしれない。ギャップが激しすぎて、カンパニーになったとき一層苦しかったのかも……」
金森穣との初仕事