「もうすぐ雨が降りそう」
ではなぜ「単純な記憶」から逃げるべきではないのかということを考えていきますが、あるシチュエーションを想像してみて下さい。それは、私とあなたが会話している状況です。私「もうすぐ雨が降りそうだな」
あなた「なんで?」
私「あっちの空に薄暗い雲があるから」
ここまでの話で、私が「もうすぐ雨が降りそうだな」と言った理由がおわかりになったと思います。しかし、それはなぜでしょうか。そこを考えて頂くのが、この記事で私が申し上げたいことの本質です。
あなたが、「もうすぐ雨が降りそうだな」ということを理解できた理由は、私が「あっちの空に薄暗い雲があるから」と言ったからです。言い換えれば、「薄暗い雲は雨を降らせる」という“知識”をあなたが知っていたからです。「薄暗い雲は雨を降らせる」ということを知らない3歳くらいの子供であれば、理解できません。
つまり、「理解」の前提には「知識」があるのです。何かを理解するためには、それを理解するための最低限の「知識」が必要なのです。極端なところまで突き詰めれば、何かを理解できるのは、「日本語を知識として知っているから」というところまで行き着きます。
最低限の知識は九九を言えるレベルにする
九九を言えるレベルに
「九九を言えるレベル」とは、「5かける6は?」と言われて、反射的に「30」と言えるレベルで記憶することです。次回の講義までに「九九を言えるレベル」にしてきた受講生の方としてこなかった受講生の方では、まるで習熟度が変わります。法律学習においては、まず最低限記憶しなければならない事項があるのです。いくつか例を挙げると、以下のようなものです。
【最低限の法律用語】
ex. 善意:しらない 悪意:知っている
※これらは、通常の日本語の意味と異なります。
【会社法の機関構成のルール】
ex. 公開会社は取締役会を置かなければならない(会社法237条1項1号)など
まだ法律学習をされていない方は、上記の内容は今の時点でわかる必要はありませんが、学習を始めたら、まず最低限記憶する必要があります。最低限の知識を記憶していなければ、他の事項の理解ができなくなってしまうのです。
まとめると、法律系資格試験の学習においては、「知識の詰め込み」は必要であると言えます。もちろん、「詰め込み」だけで合格までたどり着けるわけではなく、「理解」は重要となりますが、その「理解」をするために、「最低限の詰め込み」が必要なのです。