麿さんの創作法、舞踏ならではの作品づくりとは?
麿>作品に取りかかるのは、たいてい本番の2ヶ月前くらいから。ちょっと時間をかけすぎかなとも思うけど、まあコツコツやっていこうと考えています(笑)。バレエならメソッドがあるから、ここはピルエットだとか、ここはこのパでいきましょうとか、いろいろ組み合わせていくんだろうけど、僕らの場合そういうものはない。つくりとしては、コンテンポラリーと似たようなところがあるんじゃないでしょうか。『ウィルス』は2013年6月にMontpellier Danse Festivalへ参加した。写真提供:大駱駝艦
ただ、身体に対するアプローチはちょっと違うかもしれません。概念的には、どちらかというと籠るという方に向かってゆく感じ。もちろんそれだけじゃないけれど、中に入って行くということです。とはいえ結局身体を使っている以上、その限界を越えたいという気持ちは通底するもの。人間の身体の形の限界を超えたいという欲望は、ダンサーなら誰しも持っているはずだから。
例えばバーンと10mくらい飛び上がりたいとか、壁にダーンとぶつかってぶち破るとか、身体がグチャグチャになってまた再生してくるとか、いろいろ妄想はあると思う。そういう妄想、ある種の空想も、詐術を使えばいい訳で……。悪い言葉でいえば、“騙すテクニック”です。マジックもそうだけど、人間の目の錯覚も含めて、僕は詐術もひとつの技術だと考えているんです。
妄想が強ければ強いほど、その妄想を実際にやってみせることができたらびっくりするはず。要は、どういう風にやればそう見えるかということ。見るひとの想像力とこちらの切羽詰まったところでみつけた技術が上手く合体すれば、“そのように見える”ということはあり得ると思う。例えばジャンプにしても、10cm飛んだだけでものすごく飛んだように見える方法はないかと考える。実際どうすればいいかというと、逆に圧力をガーッと身体にかけて、グーッと小さくなる。すると圧力で質量が大きくなって、ポンと上がるだけでドーンと飛び上がったように見えるんじゃないかとか。そうしたことも、ひとつの詐術だと思うんですよね。
2007年『カミノベンキ』 撮影:松田純一