電王戦後の不可解
世間を挑発し、先手を指し続けた「泥沼流」米長邦雄。羽生善治はその様子を「鬼気迫る」とまで評した。命の灯火(ともしび)が薄暮を迎えた年明け。米長は、日々進化・拡張を続けるソフトとの対局を「公式棋戦・電王戦」とし、自ら先兵として斬り込んだ。しかし、彼は歴史に残る対局を、独特の言を持って記者達にちゃかす。いわく「でん(のう)せん でも でん(おう)せん でもどっちでもええやないか」「(電王戦は)あなたの結婚生活と同じです。続くだろうということでやっていくということです」
笑いを誘う一連の言動は、しかしながら「電王戦」の価値を低めることになりはしないか。らしいとは言え不可解な言動でもあった。
棋士至上という終点
米長とガイドと息子
なぜか?
あくまで私にとってだが、振り返れば、彼の挑発という濁流は、うねりながらも同じ終点にたどり着く、ゆえに惹かれるのだ。
それは「棋士至上」という終点である。
棋士至上-イメージ
名人戦を巡る「毎日」「朝日」との交渉も同じだ。将棋界をビッグメディアと並ぶもの、いや、凌駕さえするものとして認識させた。
園遊会における「国旗国歌発言」も、他の錚々たるメンバーの中での突出を印象づけた。
「兄貴達は頭が悪いので東大に行った。俺は頭が良いので棋士になった」と学識の頂きである東大より将棋界が上だと主張した。
「米長理論の浸透した将棋界に八百長はない」と八百長問題で揺れる他の競技より将棋界を優位に置いた。
米長の鬼気迫る挑発は棋士を至上とするための解答だったのだ。だとすれば、米長は人生最後にして最強の敵として現れたソフトに関して主張せねばならぬことがあったはずだ。
そう、「ソフトより棋士が上である」と。さて、ここからはガイドなりの「米長」解釈である。
最後の戦略
ソフトからの挑戦にケリをつけておかねば、俺は死ねない。彼はそう思ったに違いない。しかし……。しかしプロ棋士はいつかは敗れる。その時に世間はどう反応するか。なあんだ、プロでもソフトには勝てないのか。まあ、これで世間が終わってくれればまだ良い。だが、そんなふうに問屋が卸すかどうかは定かではない。例えば、各種棋戦の解説。プロ棋士よりもソフトにお伺いを立てた方が良策だと思うかもしれない。また、アマチュアが、プロ棋士の指導よりもソフトと稽古した方が効率がよいと判断するかも知れない。ソフトへの敗戦はプロ棋士の存在意義にかかわる大問題に発展しかねないのだ。野球-イメージ
だから、米長は自身が対ソフト公式棋戦の先陣を切った。そして、対人間では絶対に指さない2手目「△6二玉」という手を採用した。なおかつ、その手を対ソフトでは最善手であると強く主張した。これは人間対人間の対局とは別物だと言っているのに等しい。
また、前編でも紹介したように、その著書「われ敗れたり」では、ソフトとの対局を後輩の佐藤康光に打診する場面がさりげなく紹介されている。その際に彼は「(ソフトとの対局は)遊び」のつもりでやってみないかと話しているのだ。この後、佐藤のお叱りを受けたことも書かれているが、いずれにせよ、わざわざ挿入したこのエピソードは、しょせん「遊び」ですよとも読むことができる表現だ。
これが「電王戦」へのちゃかし会見へとつながっていたとすれば頷ける。そう言えば、米長は常々語っていた。「棋士は脳に汗をかきながら対局している」と。そして「その汗こそが美しいのだ」とも。電脳は汗をかかない、いや、かけない。だからソフト対棋士は、棋士同士の対局に美しさという点で遠くおよばない。こうしてソフトより棋士を上位に置いたのではないか。一連の流れから電王戦へのちゃかし、これが米長最後の生命を賭した「ソフトより棋士が上」の戦略であったのかもしれない。