金森さんが思い描く今後の展開、構想中の計画をお聞かせください。
金森>舞台芸術を専門的・総合的に学べるスクールもつくりたいし、Noism3もつくりたいし、自分が運営方針を決められる劇場も欲しいし、フェスティバルもやりたい。やりたいことというか、やらなきゃと思ってることはいっぱいあるけど、実現するには時間とエネルギー、そして何より権限のあるひとの理解が必要になる。学校があって、研修生カンパニーがあって、メインカンパニーがあって、フェスティバルで海外の一流の舞踊芸術も鑑賞できる……という、舞踊家としての道筋をつくりたい。それに日本では歳を取ったら指導する側にまわるか、舞踊を辞めるかのどちらかしかない。なかには踊ってる方もいるけれど、基本的にはその2種しか選択肢がないですよね。そうではなく、指導者も専門的に育成するべきだし、舞踊家としてもきちんと引退後の社会貢献まで道筋があるべき。子供たちが舞踊家になりたいと言ったとき、じゃあどういうビジョンがあって、どういう夢があって……という、ランドスケープを提示しないと。そこには当然舞踊家たちを支える制作スタッフや、舞台の裏方さんたちの問題も関わってくる。劇場文化というものを持続可能な文化として構想し、考えていかないといけない。
『中国の不思議な役人』(2011年) 〈サイトウ・キネン・フェスティバル松本2011〉オリジナル作品「バルトーク・ダブルビル公演」より
撮影:篠山紀信 撮影協力:サイトウ・キネン・フェスティバル松本
ヨーロッパで数々の名門カンパニーを経験してきて、
金森さんが理想とするランドスケープのモデルケースは?
金森>コレだ、という理想のケースは特にないですね。海外には本当にいろいろな劇場があって、オランダにはオランダの、フランスにはフランスの問題があった。例えばスウェーデンはユニオンがすごく強くて、早ければ19歳で永久契約がもらえて、舞踊家としての生活が一生保障されてしまう。ディレクターにどれだけ文句を言おうが、どれだけやる気もなく踊ってようが、誰もクビを切れないんです。もちろん頑張ってるひとは頑張ってる。でも明らかにもうやる気がなくて、給料をもらうために取りあえず劇場に来ているようなひとたちもいた。これでは駄目だと思っていたし、そういう保証は必要ない。
舞踊家として志があって、しっかり高みを目指してる子たちのその後のランドスケープはつくってあげたいと思うけど、若いときから堕落してしまうような制度や保証であってはならない。ただ、ケガをしたり、妊娠したり、というときの保証はあってしかるべきだと思う。ヨーロッパにいた10年間で経験した中で、いいと思った事例は参考にしたい。
あと重要なのは、日本の中で何が必要かということ。ヨーロッパの制度をそのまま日本に置いてもしかたない。日本とヨーロッパでは社会的背景が違う。政治家の考え方も違うし、文化予算だって違うし、観客だって違いますからね。
見世物小屋シリーズ第3弾『Nameless Voice ~水の庭、砂の家』(2012年) 撮影:篠山紀信