「勧進帳」全ストーリー解説・後編
歌舞伎の演目人気ナンバーワンの勧進帳をとことん楽しむためのシリーズ第3回です。上演される実際のストーリーについて、前回からの続きをお話しします。【関連記事】
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■打擲(ちょうちゃく) ~弁慶の覚悟~
すかさず駈け戻った弁慶は富樫にではなく、強力姿の義経に「なぜ早く追いついてこないのだ!」と鋭く叱咤します。ここで富樫に突きかかっていけば、強力が義経であると認めるも同然だからです。しかし富樫はごまかされません。「なんと言い訳をしてもだめだ!」と迫ります。
もうどうにもならない状況にまで追い込まれてしまった義経たち。
ここで弁慶が驚くべき行動に出ます。富樫の疑いを解くため、主人である義経を「お前が義経だと怪しまれるようだから、旅がはかどらないのだ!」と、金剛杖で思い切り殴りつけたのです。封建的価値感の中で、まして弁慶は心から義経を敬愛していましたから、その人を思い切り打ちのめすなど、あり得ない行為です。
これは弁慶が「どんなことをしても主人を守って陸奥国までたどり着く」という真の目的にコミットし、覚悟していたからこそ、このような思いきった手段に出ることが出来たのでしょう。
■通行の許可 ~富樫の覚悟~
しかし、それでも富樫は通行を許可しません。「どんな言い訳をしても無駄だ!」と弁慶たちを追い詰めます。いきりたつ四天王たちと、必死にそれをとどめる弁慶。一触即発の戦闘態勢でのギリギリの攻防の中、弁慶が言い放ちます。
必死に四天王を押しとどめる弁慶
「そこまで疑うならこの強力を疑いを晴らすために今ここで打ち殺して見せよう!」
おそらく弁慶は関所に差しかかる前、義経が「名もなき者の手にかかるよりは…」と言っていたことを覚えていたのでしょう。富樫たちに捕えられるくらいなら、最も敬愛する主人を自らの手にかけ名誉を守り、自らもここで討ち死にしようとの必死の覚悟だったのではないでしょうか。
その弁慶を見て、富樫は衝撃をうけます。それは弁慶という男の「あり方」に心が震えたのかもしれません。今、目の前の男は間違いなく、ただ一人で自分の命を、より大切なもののために投げ出している。その覚悟が、大きな組織の末端にいる富樫の胸を打ったのかもしれません。
そして富樫は一行の通行を認めます。もし彼らが義経一行なら、確実に富樫を待っているのは「切腹」です。それでも富樫は彼らを通す決断をしたのは、弁慶という大きな大きな覚悟を持って生きている男に出会えたことへの満足があったのかもしれません。
■弁慶の涙 ~主従の絆~
関所を通り抜けた義経一行。しかし弁慶は打ちひしがれています。たとえ作戦とはいえ、命よりも大切に思う主人をさんざんに打ちのめしてしまったからです。
そんな弁慶に対して義経は一切責めることなく「よくあの場面で自分を打ちすえた。弁慶の機転、才智があったからこそ絶体絶命の危難を乗り越えることができたのだ」と感謝の気持ちを伝えたのでした。
勧進帳(義経)
弁慶は一生を通じて殆ど泣いたことがないという伝説のある人物ですが、この時ばかりはハラハラと涙をこぼします。そんな弁慶に、義経はそっとやさしく手の差しのべるのでした。
義経は一度弁慶に任せると決めたら、最後まで弁慶を信じました。弁慶は義経を守るという一点だけにすべてを捧げて臨みました。現代でも、こんなにも優れたリーダーと部下の関係、なかなか見ることが出来ないように思えませんか。
■別れ ~そして旅は続く~
そこへ、富樫たちがさきほどのことを詫びたいと、酒を持って現れます。富樫は、最後に弁慶と一献酌み交わしたかったのかもしれません。
弁慶はただ、富樫の勧めに従い大杯を乾し、そして舞い踊ります。弁慶の豪快な飲みっぷりと、大らかな舞い。そのとき、弁慶は富樫の未来を祈ったのかもしれません。
弁慶を見送る富樫
緊張から解放されたひととき。それも終わり、弁慶は義経たちを一足先に立たせ、弁慶も富樫に一礼を送り席を立ちます。富樫も弁慶も、一言も交わしませんが、どこか二人の男には命をかけた者同士だけの、言葉にならない絆が生まれたようでもあります。
安宅の関をめぐっての三人の男の物語はここで終わります。しかし義経一行の行き先には、まだ遥か厳しい旅路が続きます。
そのことを思うと「勧進帳」というドラマの濃密さ、奥行きに驚きます。一つの関所をめぐる物語は、義経、弁慶の来し方、行く末までを暗示し、私たちに多くのイメージを与えてくれます。
長らく歌舞伎ファンに愛されてきたこの物語は、これからも多くのファンに豊かな感動を与え続けてくれるでしょう。
第4回は舞台のみどころです。