イデビアンからイデビアン・クルーへ
専門学校時代
「僕の中では就職というのはあまり考えてなくて……」と、井手さんはそのままダンス生活に突入。ダンスの発表会や公演の予定がすでにあり、取りあえずはと目の前の舞台に邁進する。
もちろんダンスで生活は成り立たない。焼き肉屋、喫茶店、スーパー、深夜のコンビニ……。バイトをしては稽古に行っての繰り返し。
先行きの見えない生活に、不安はなかったのだろうか。
「今ならそんな生活は怖いし、この先どうしようって考えちゃうと思う。だけど、当時はバイトして、稽古して、創作してーーが全て。“このシーンここまでできた”とか、“今度この曲で振付したいんだよね”とか、そんなことばかり考えてました」
近藤良平氏とのツーショット
「近藤さんがアパートを探してるって言うから、空いてるよって教えたら越してきた(笑)。“イデビアンっていうのやろうと思ってるんだ”、“コンドルズっていうのやろうと思ってるんだ”って、ふたりでよくそんな話ばかりしてました。あと日大芸術学部の学生だった伊藤千枝ちゃん(珍しいキノコ舞踊団主宰)とか、当時は横のつながりが結構あったんです」
イデビアン・クルーにコンドルズ、珍しいキノコ舞踊団と、同時代に生まれた彼らが互いの存在を糧に、各々現代コンテンポラリー・ダンス界を牽引する人気カンパニーへと成長してゆく。
近藤良平らダンス仲間と共に、ドイツで開催された学生のダンス・フェスティバルに参加したのもいい思い出だ。
「卒業旅行みたいな感じで、みんな頑張ってバイトして旅費を集めて、すごい安い経路で行って。みんな若かったし、勢いがありましたよね」
『ドイツ・アレーナ’95』
「実は、自分の中では卒業公演という意識があって。これで最後にしようと思ってたんです。もう十分楽しんだから、やっぱり田舎に帰って美容室を継ごうかなと……」
しかし、井手さんの想いをよそに、イデビアン・クルーは大きく前進する。『イデビアン』の発表直後にドイツ・エアランゲンの『ドイツ・アレーナ・フェスティバル‘95』から声がかかり、新作『no title』を引っさげ上演を決行。『no title』は想像以上の好評を博し、公演後に行われた観客の人気投票で見事一位を獲得する。日本に帰ると劇場のプロデューサーから作品制作を依頼され、また新作に取りかかることにーー。
“卒業”は自然消滅。井手さん自身、作品を世に提供していく内に、いつしかその魅力を手放せなくなっていた。
「作品をつくる楽しさが出てきた時、自分がやるべきことはこれなんじゃないかと思うようになって。大きく言えば、運命感じちゃったんですよね。自分はこういう生き方をしてもいいんじゃないかと。親からは相変わらず、早く帰ってこいとは言われてたけど(笑)」
『notitle』