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ダンサーズ・ヒストリー イデビアン・クルー 井手茂太(4ページ目)

ダンスカンパニー『イデビアン・クルー』の主宰であり、自身もダンサーとして活躍する井手茂太さん。カンパニーでの活動のほか、演劇やミュージックビデオ、CMなど、多彩なジャンルの作品を手掛ける超売れっ子振付家です。彼がダンスの道を志したきっかけとは……。ここでは、井手さんのダンサーズ・ヒストリーをご紹介します。

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

バレエガイド


イデビアンからイデビアン・クルーへ

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専門学校時代

卒業生たちの主な就職先は、テーマパークのダンサーやダンスインストラクター。なかには踊りをもっと勉強したいと留学する級友もいた。
「僕の中では就職というのはあまり考えてなくて……」と、井手さんはそのままダンス生活に突入。ダンスの発表会や公演の予定がすでにあり、取りあえずはと目の前の舞台に邁進する。

もちろんダンスで生活は成り立たない。焼き肉屋、喫茶店、スーパー、深夜のコンビニ……。バイトをしては稽古に行っての繰り返し。
先行きの見えない生活に、不安はなかったのだろうか。
「今ならそんな生活は怖いし、この先どうしようって考えちゃうと思う。だけど、当時はバイトして、稽古して、創作してーーが全て。“このシーンここまでできた”とか、“今度この曲で振付したいんだよね”とか、そんなことばかり考えてました」

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近藤良平氏とのツーショット

時代の流れも後押しした。当時、同じアパートの斜め向かいに住んでいたのがコンドルズの近藤良平。学生時代にもぐりで遊びに行った某有名大学のモダンダンス部で出逢い、意気投合。
「近藤さんがアパートを探してるって言うから、空いてるよって教えたら越してきた(笑)。“イデビアンっていうのやろうと思ってるんだ”、“コンドルズっていうのやろうと思ってるんだ”って、ふたりでよくそんな話ばかりしてました。あと日大芸術学部の学生だった伊藤千枝ちゃん(珍しいキノコ舞踊団主宰)とか、当時は横のつながりが結構あったんです」
イデビアン・クルーにコンドルズ、珍しいキノコ舞踊団と、同時代に生まれた彼らが互いの存在を糧に、各々現代コンテンポラリー・ダンス界を牽引する人気カンパニーへと成長してゆく。

近藤良平らダンス仲間と共に、ドイツで開催された学生のダンス・フェスティバルに参加したのもいい思い出だ。
「卒業旅行みたいな感じで、みんな頑張ってバイトして旅費を集めて、すごい安い経路で行って。みんな若かったし、勢いがありましたよね」

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『ドイツ・アレーナ’95』

1995年、カンパニー名をイデビアンからイデビアン・クルーに変更。旧イデビアンのメンバーを中心に、25人ものダンサーを集めて旗揚げ公演を行った。タイトルはずばり『イデビアン』。
「実は、自分の中では卒業公演という意識があって。これで最後にしようと思ってたんです。もう十分楽しんだから、やっぱり田舎に帰って美容室を継ごうかなと……」

しかし、井手さんの想いをよそに、イデビアン・クルーは大きく前進する。『イデビアン』の発表直後にドイツ・エアランゲンの『ドイツ・アレーナ・フェスティバル‘95』から声がかかり、新作『no title』を引っさげ上演を決行。『no title』は想像以上の好評を博し、公演後に行われた観客の人気投票で見事一位を獲得する。日本に帰ると劇場のプロデューサーから作品制作を依頼され、また新作に取りかかることにーー。

“卒業”は自然消滅。井手さん自身、作品を世に提供していく内に、いつしかその魅力を手放せなくなっていた。
「作品をつくる楽しさが出てきた時、自分がやるべきことはこれなんじゃないかと思うようになって。大きく言えば、運命感じちゃったんですよね。自分はこういう生き方をしてもいいんじゃないかと。親からは相変わらず、早く帰ってこいとは言われてたけど(笑)」

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『notitle』



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