フランス・ルネサンスの傑作「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」
フォンテーヌブロー宮殿。語源は "Fontaine Belle Eau" で「美しい水が湧き出す泉」。一度にデザインされたベルサイユ宮殿と異なり、800年のあいだ増改築を繰り返したため、構造は複雑で対称にもなっていない
今回はフランソワ1世の最高傑作であり、フランス・ルネサンスのさきがけとなった世界遺産「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」を紹介する。
パリ近郊三大宮殿、ルーヴル、フォンテーヌブロー、ベルサイユ
現在のフォンテーヌブロー宮殿のファサード(正面)にあたる白馬の中庭。中央下が有名な別離の階段だ
別離の階段。1814年、フォンテーヌブロー条約によってナポレオンは皇帝位を退き、この階段で兵たちに最後の挨拶を行ったあと、エルベ島へ旅立った
パリは紀元前の時代、ルテティアの名前で知られていた。これをローマ帝国のカエサル(シーザー)が占領してから近代都市へと発展を遂げた。
宮殿としてもっとも古い歴史を持つのがルーヴル宮殿だ。12世紀にフランス王フィリップ2世が建てたルーヴル城がはじまりで、16世紀にフランソワ1世がイタリアからルネサンスの建築家を呼び寄せて華麗な宮殿へ建て替えた。17世紀にルイ14世がベルサイユ宮殿を築くと宝物を収蔵する別館的な扱いとなり、美術館として利用されることが増えた。この流れで、現在はルーヴル美術館として公開されている。
ベルサイユ宮殿のハイライト、鏡の間。金銀と鏡が生み出す豪奢な空間は他に類を見ない
パリ郊外の狩猟地であった点はベルサイユも同様だ。17世紀にルイ14世は不毛の荒野に水を引き、それまで誰も目にしたことがないような巨大で豪壮な宮殿と庭園を建設する。ベルサイユ宮殿だ。ルイ14世、15世、16世の居城となったが、ルイ16世の時代にフランス革命が起きたため、宮殿として長く利用されることはなかった。
王たちの愛した宮殿、フォンテーヌブロー
フォンテーヌブロー宮殿のハイライト、フランソワ1世の回廊。ベルサイユ宮殿・鏡の間ほど絢爛豪華ではないが、洗練されたルネサンス式の装飾が美しい
この宮殿を特に愛したといわれているのがナポレオンだ。18世紀のフランス革命で荒廃したフォンテーヌブロー宮殿だが、その姿を見たナポレオンは「これこそまさに王の宮殿なり」と語り、修復を命じたという。
ナポレオンの蔵書を集めたディアナの回廊。中央にあるのはナポレオンの地球儀
ベルサイユ宮殿を築いたルイ14世もフォンテーヌブロー宮殿を増改築しているが、ベルサイユの豪華絢爛たるデザインを持ち込むことはなかった。それぞれの王はフォンテーヌブローの持つ美観を愛し、そのスタイルを尊重しながら宮殿や庭園の整備を行った。
三大宮殿のうち、ルーヴルは現在美術館として公開されているので、宮殿として見たら「ベルサイユの豪奢 VS フォンテーヌブローの華麗」ということになる。パリ中心部からベルサイユ宮殿まで電車で30~40分、フォンテーヌブロー宮殿まで1時間ほどなので、ぜひこのふたつの世界遺産を見比べて、その違いを体感してほしい。