世界遺産/中国の世界遺産

青城山と都江堰灌漑施設/中国(2ページ目)

いまから約2300年前、洪水と干ばつに苦しんでいた秦国・蜀の地に大水利施設・都江堰が築かれる。これによって蜀は「天府の国」と呼ばれる大穀倉地帯に変貌を遂げ、中国史上初となる始皇帝の天下統一に大いに貢献する。一方、青城山は「幽玄」で知られる道教の聖山。今回は都江堰と道教の聖地・青城山を登録した中国の世界遺産「青城山と都江堰灌漑施設」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

都江堰の驚くべき機能

都江堰の構造

都江堰の構造。魚嘴と宝瓶口で二度分水を行っている。増水時は湾曲している飛沙堰周辺で水が回転し、その遠心力で水と土砂が外江へと排出される。これにより渇水時は6:4、増水時は4:6の割合で自動分水される(四六分水)

都江堰の主要設備は魚嘴(ぎょし)、飛沙堰(ひさえん)、宝瓶口(ほうへいこう)の3つ。それぞれの機能を紹介しよう。

■魚嘴
魚嘴

魚嘴。当時は竹製の蛇籠(じゃかご)に石を入れて魚嘴や堤防を築いたが、現在はコンクリート等で補強されている

もっとも上流にあり、魚の嘴(くちばし)のように尖っているのが魚嘴だ。これによって岷江の流れを外江(岷江本流)と内江(人工河川。灌江)のふたつに分割している。内江は外江より深く掘られているため、渇水時は外江よりも多くの水が成都平原へ送られる。一方、増水時は金剛堤が低く造られているため、余分な水が外江に戻ることで水量が調整される。

■宝瓶口
宝瓶は首のすぼまった瓶器のこと。内江の川幅はここですぼまっており、増水時の余分な水は手前に貯まって飛沙堰から外江へと流し出される。宝瓶口の周辺はもともと玉壘山(ぎょくるいざん)の一部。掘削は困難を極めたが、木々を燃やして岩を熱したうえで水をかけて急速に冷やし、もろくしてから削岩したという(焼石法)。

 

■飛沙堰
飛沙は、砂を飛ばすという意味。河床から2mの高さに堤が設置されており、堤を経て外江につながっている。内江は飛沙堰の辺りで湾曲し、さらに宝瓶口ですぼまっているため、増水時に水は飛沙堰の手前に滞留し、余分な水と土砂は堤を乗り越えて外江に押し出される。この機能によって成都平原における洪水や土砂の流入を防いでいる。

始皇帝の中国統一と天府の国

宝瓶口

宝瓶口。左が成都平原へ続く運河で、右は後の時代に増築された。内江は川幅130mだが、宝瓶口以降は20mしかない。後ろの建物は伏龍観で、当時この地を治めていた伝説の竜が封じられている

都江堰完成後、成都平原では洪水や干ばつの被害がほとんどなくなり、中国随一の穀倉地帯へと変貌を遂げる。

安瀾索橋

岸と魚嘴をつなぐ全長320mの吊り橋、安瀾索橋。中国五大古橋に数えられるほど歴史ある橋だが、何度も流されたり焼失しており、現在の橋は清代に造られている

完成まもない紀元前247年、昭王のひ孫である政が秦の王位を継ぐ。政は成都平原からもたらされる農作物を背景に富国強兵に務め、紀元前221年に史上はじめて中国全土を統一。三皇五帝から二文字をとって「皇帝」を名乗り、始皇帝となる。

以来、穀倉地帯を支える都江堰は蜀の拠点として整備され、防御されてきた。後漢末の『三国志』の時代、蜀漢を建国した劉備と丞相・諸葛亮は要衝である都江堰に軍を送り、守りを固めた。諸葛亮がいったとされる言葉が「沃野千里 天府之土」。天府とは地味肥える土地のことで、四川盆地は「天府の国」と称えられた。

その後都江堰は幾たびかの修復や位置の調整を行いながらもあり続け、完成から約2300年を経た現在でもその機能を見事に果たしている。

 

なお、都江堰、万里の長城、霊渠(れいきょ)を古代中国三大事業という。万里の長城は各国で造られていた長城を始皇帝がつないだもので、霊渠は始皇帝が長江の支流に築いた巨大な運河。いずれも秦の始皇帝が関係している。
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