幽玄の山と古代の水利事業、世界遺産「青城山と都江堰灌漑施設」

都江堰の魚嘴

都江堰。右の出っ張りが魚嘴で、これによって岷江の流れを分割した。その上の橋のような施設は1974年に完成した外江閘と呼ばれる閘門で、現在はこれも併用して分水を行っている

古来、洪水と干ばつに悩まされてきた蜀(しょく)の国。しかし、紀元前250年前後に完成した大水利施設・都江堰(とこうえん)によって安定的な農業生産が可能になり、中国有数の大穀倉地帯へと変貌を遂げる。

その都江堰から10kmほどの位置にある青城山は古くから幽玄の山で知られる道教の聖地のひとつ。今回は四川省の省都・成都にほど近い中国の世界遺産「青城山と都江堰灌漑施設」を紹介する。

古代中国の王を支えた治水と利水

金剛堤と飛沙堰

中央に細長く横たわるのが金剛堤で、その右が外江、左が内江。上には外江と内江をつなぐ飛沙堰が見える

チベット高原の東に広がる四川盆地・成都平原は内陸にありながら温暖な気候と多数の川に恵まれたとても豊かな土地。しかし、しばしば起こる洪水と干ばつのために安定した農業生産ができない悩ましい土地でもあった。

紀元3世紀にこの地を治めていたのは「戦国の七雄」のひとつ、秦(しん)。紀元前300年前後に戦国時代の最強国に成り上がった秦だが、他国は連合を組んでこれに対抗していた。

李冰・李二郎親子

都江堰に設置された李冰・李二郎親子の立像

古代中国の王にとって、何より大切だったのが治水と利水だ。三皇五帝と呼ばれる伝説の王たちは黄河を制することで洪水を防ぎ(治水)、農業・都市用水を確保して(利水)、強力な国家を創ったと伝えられている。戦国時代でも水利施設の建設は各国で競うように行われていた。

紀元前260年頃、秦の昭王は蜀郡の太守・李冰(りひょう)に洪水を防ぐための水利施設の建設を命じる。

蜀郡が置かれた成都平原で毎年洪水が起こるのは、チベット高原からもたらされる雪解け水が長江の支流である岷江(みんこう)に一気に注ぎ込むため。一方干ばつは、大きな川がいずれも成都平原の脇を流れており、その中に流れ込んでいないことが原因だ。

 

これを一気に解決するために、李冰は岷江の流れをふたつに分割するアイデアを採用する。李冰は道半ばで倒れるが、工事は息子・李二郎に引き継がれ、紀元前250年頃に完成する。