ベルギー/ブルージュ

キリスト教遺産を巡るブルージュ

「天井のない美術館」と異名をとるブルージュには、どこを見ても、キリスト教建築やキリスト教芸術などが溢れています。信者でなくとも、多少の予備知識をもち、心の目を一杯に開いて、歴史や芸術をゆっくりと感じていただきたいものです。

栗田 路子

執筆者:栗田 路子

ベルギーガイド

ブルージュでキリスト教遺産を巡る

ブルージュのシンボル塔のひとつ

遠くから望む聖母教会の塔

ブルージュの街が近づくと、3つの高い塔が見え始めます。それらは、鐘楼、聖母教会と救世主大聖堂の尖塔。かつてブルージュが西ヨーロッパ一の港町として栄えた中世には、船で運ばれてきたものを貯蔵する「水の倉庫」と呼ばれるもうひとつの高い塔があり、ブルージュの栄華は、その4本の塔に象徴されていたといいます。今日残る3本のうち、最も高い尖塔が、聖母教会のものです。

聖母教会

ミケランジェロの聖母子像が有名

聖母教会

聖母教会の歴史は後述のシント・ドナティアン教会や救世主大聖堂と同じく、10世紀半ばまで遡ります。現在見られる姿は、1297年に竣工され、1361年に完成をみたもの。122mのこの塔は、1518年にアントワープのノートルダム大聖堂に追い抜かれるまでは、ネーデルランドで最も高い教会の塔でした。(注:ここでいうネーデルランドとは、近代国家としてのオランダのことではなく、商工業で栄えたフランドル地方を中心とする、現在オランダ・ベルギーなどがある地域一帯のこと)。

教会の内陣はあまり特徴のないものですが、この教会を著名にしているのは、何と言っても、その南側の翼廊奥の祭壇に置かれた、ミケランジェロによる聖母子像。これはバチカンにあるピエタ像の5年後、1504年に造られた作品で、ミケランジェロが生きている間にイタリアの外に出された唯一の作品とされています。

カララ大理石で作られた美しいこの聖母マリアとイエスの姿は、幼い頃に母親を亡くしたミケランジェロの、母の愛を求める気持ちが、最も強く現れたものと言われています。幼子イエスが、聖母マリアの膝から降りて自ら立っているのも初めてとのこととか。その後、欧州の多くの芸術家に影響を与え、たとえば1521年4月、このあたりを旅したドイツ・ルネサンス期を代表する巨匠デユーラーも、わざわざ母子像を見るために、ブルージュに足を運んだそう。

14後半~15世紀には、フランドル地方を中心にこのあたり一帯は、商工業貿易が発達し、また、ブルゴーニュ公国の3代(善良公フィリップ、突進公シャルルとその娘で絶世の美女だったとされる公女マリー)が、ブルージュを本拠地としたため、宮廷には華やかな騎士文化が開花し、ブルージュは、欧州全体の経済・文化の中心地として栄えました。

その3代のうち、突進公シャルルと、美しい姫マリーの霊廟がここに収められています。マリーは、狩猟の際に落馬し、若くして亡くなったため、悲劇のマリーなどとも呼ばれ、今でも伝説のようにブルージュ市民に愛され、街のシンボルとして語り継がれています。

また、内陣北側の回廊から上方を見上げると、教会の隣にあるフルートフーズ邸(博物館編にて詳細)の聖堂が見えます。かつて、フルートフーズ家のような豊な家柄の人々は、屋敷に直接つながる教会で、ミサに与ることができたことがわかります。

<DATA>
Onze-Lieve-Vrouwekerk 聖母教会
住所:Mariastraat
開館時間:月~金曜9:30~12:30/13:30~17:00、土曜9:00~12:30/13:30~16:00、日曜:14:00~17:00
入場料:2ユーロ
(教会は2014年1月現在修復中。終了までには数年かかり、工事の経過によって、見られない部分ができるため、工事期間中の入場料は2ユーロ)
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