文化交流使として、バリではどのような活動をされているのでしょう?
森山>「交流」という観点で一般の人々・アーティストかかわらず広く情報交換をしたり、子どもや学生向けにダンスのワークショップも行いました。バリ、ホーチミンではイベントに出演し、また2014年1月には『LIVE BONE』というパフォーマンスをバリ・ジャカルタ・シンガポールで上演しました。全部で約2ヶ月強という短い期間でしたが、バリには比較的長く滞在したので、文化の背景を知るために現地の芸能や祭司儀礼を見に行ったり、バリの舞踊を習ったりもしました。2013年12月には、津村先生も別の作品で出演された『ジャパン・フェスティバル』というイベントに出演させていただきました。バリ芸能は仮面の舞踊が盛んで、トペンという能でいう面があったり、能とどこか通じる部分が多い。そういう意味でも津村先生はバリに興味をお持ちで、ジャパン・フェスのような機会があると参加したりと、いろいろ活動をされているようです。
僕自身文化交流使として行き先にインドネシアを選んだのは、バリの芸能を体感してみたいという想いがあったから。聞くところによると、トランスダンスとか、トランスの芸能というものがバリには根付いているという。それはどういう感覚なんだろう、という興味がありました。
実際にトランスの現場にも行きましたが、やっぱりスゴかったですね。観光地ではトランス的なものをダンスとして観光客向けにやっているけれど、それはたぶん“トランスしている風”だと思うんです。僕が連れて行ってもらったのは観光的な場所ではなく、地元のひとたちが自分たちのためにやっている、本当に生活に根付いたもの。なかなか出逢うのは難しいと言われていたのですが、僕の滞在が210日周期の日本でいうお盆のような時期に重なったというのもあり見ることができました。アリットさんが連れて行ってくれたんですが、数年に一度しか開催されない特別なものだと言ってましたね。
「曼荼羅の宇宙」(2012、主催:新国立劇場) (C)kazuyoshi Inoue
ウブドから50分くらい離れた長閑な田園地帯で、赤ちゃんもお爺ちゃんもお婆ちゃんも、村中の誰ひとり欠けることなくひとつのお寺に集まっている。祈りを捧げた後、境内で演劇のようなものをやるのを、みんなで地べたに座って観るんです。
はじめはバリ舞踊風なものや、チャロナランというコメディ要素もある劇をやっていたんですが、バロンとランダという善と悪の象徴が登場した途端、ダーッと暴れ出したひとがいて。そうかと思ったら、どんどんトランスしていって、剣を振りだす人がいたり、それを押さえるひとたちがいたり。なかにはヒヨコを食べているひともいました。悪霊が取り憑いていて、ヒヨコを食べるんだと。ピヨピヨって鳴いているヒヨコを、生きたまま、足までバリバリと……。最終的に聖水をかけられ正気に戻るんですが、それまでフリをしているかというと違って、本当にトランスしているらしいんです。精神的、宗教的な部分で心を開いているから、そうなるのでしょうか……。
トランスしているひとたちだけでなく、周りで見つめているひとの集中力も尋常ではなく、まわりのみんなを含めての空間であり、見ているひとも一緒に参加しているんだと強く感じました。子供も大人もみんないっしょくたになって凝視している、その空間自体がとても不思議で。
雷が鳴っていて、今にも雨が降りそうだけど持ちこたえてる。でも帰り道は大雨で、その場所だけ降っていなかったことが後からわかりました。バリでは神の力で、局地的に雨が降らないことがあるとか。だから、真偽のほどはわかりませんが、これまでトランスが中止になったことはないそうですよ。
「曼荼羅の宇宙」(2012、主催:新国立劇場) (C)kazuyoshi Inoue
衝撃的な体験は、作品にも影響を及ぼしそうですね。
森山>あの出来事を消化させ、自分の動きや作品にあらわれるようになるにはどれくらい時間がかかるか、どういう変化になるのか。僕もはっきりとは言えないし、具体的にお客さまが見てわかるものかどうか……。でもとても強く残っているものなので、何かしらあらわれてくるとは思います。僕自身はトランスするタイプの人間ではないから、“今僕はどういう状態なんだろう”って改めて思いました。どこかでトランスしているのかもしれないけれど、意識をしっかりもってそれをみせていく感じですね。
能の中に“狂”という言葉があって、“狂ってみせる”という意味がある。舞台上で、意図的に“狂う”んです。トランスの現場にいて、その言葉が強く浮かびました。でもバリでは本当にトランスし、本当に憑依しているので、“狂っている”という言い方が妥当かわからないのですが……。
僕も日本人として能の“意図的に狂う”という感覚がなんとなくわかるので、よりそのことを実感し、体感する機会になったかと思います。文化交流使として活動することで、より日本のこと、自分たちのことを知る機会になりました。違う国へ行くと、自分の大事なものって何だろうとか、日本人って何だろうって考えることが多い。だから異文化に触れることは、自分が変わるきっかけになるというよりは、自分の芯を見つけることにつながるのかなと思います。
『Shakkyou』(C)Ryo Shirai