世界遺産/アメリカの世界遺産

チチェン・イッツァ/メキシコ(4ページ目)

1年に2度、羽を持つ蛇の神が舞い降りるピラミッドや、生きたまま生け贄の心臓を抜き出した神殿をはじめ、中米でもっとも有名なマヤ文明の世界遺産「チチェン・イッツァ」。今回はこの神秘の古代都市を紹介しよう。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

生け贄の泉=聖なるセノーテと、マヤ人の自然観

球戯場のレリーフ。首をはねられたリーダーの体から出た血液が蛇の形になって飛び出している様子を描いている ©牧哲雄 

球戯場のレリーフ。首をはねられたリーダーの体から出た血液が、蛇の形になって飛び出している ©牧哲雄

子供や女性のみならず、男子まで生きたまま投げ込まれた聖なるセノーテ ©牧哲雄

生け贄を生きたまま投げ込んだという聖なるセノーテ ©牧哲雄

川のないユカタン半島では、ため池や地下水をたたえた池をセノーテと呼び、水を供給する聖なる場所として祀られていた。直径60m、水深80mにもなるチチェン・イッツァの「聖なるセノーテ」から、大量の人骨や装飾品・宝石などが発見された。

この聖なるセノーテは雨の神チャックのすみかと信じられ、定期的に生け贄が捧げられたようだ。生け贄は子供から処女、男性にまで及び、生きたまま投げ込まれたという。

これらの生け贄の儀式をもってマヤの人々は残忍だったとか、残虐な儀式とかいわれるが、必ずしもそうはいえない。どこまでも自然を愛した人々だからこそ、自然の周期性に気づいたのだし、自然を尊んだ。自然の神秘はそのまま神の所業であると考えられ、自然のあらゆる場所に神々を見出した。

 

千柱の間とエル・カスティーヨ ©牧哲雄

千柱の間とエル・カスティーヨ ©牧哲雄

現在の多くの人間にとって死は終わりでしかないが、マヤの人々にとって、死は終わりではなかった。彼らから見れば、死を与えることは残虐でもなんでもなかったのかもしれない。

たとえば近年の戦争では国家のために人々は死んでいくのだが、マヤ人にしてみれば、人が作り出した国家などという概念のために死ぬことの方がよほど残虐だと思えるかもしれない。

自分の価値観で相手を判断するのではなく、相手の価値観で世界を見つめること。他文化理解はそのような視点からしか実現しない。
  • 前のページへ
  • 1
  • 3
  • 4
  • 5
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます