神が舞い降りるマヤの都チチェン・イッツァ
ツォンパントリの基壇に刻まれた頭蓋骨のレリーフ。この上に生け贄の生首が並べられた ©牧哲雄
メキシコからコスタリカにかけての地域をメソ・アメリカと呼ぶ。メソ・アメリカには数百~数千ものピラミッドが建造されたといわれているが、もっとも有名なピラミッドがチチェン・イッツァのエル・カスティーヨだろう。また、マヤ文明といえば「生け贄(いけにえ)」だが、生け贄の泉、生け贄の神殿、生け贄の球技と、そのイメージを象徴する遺跡に満ちているのもこのチチェン・イッツァだ。
今回はマヤ文明最大の神秘、世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ」を紹介しよう。
チチェン・イッツァの神秘と宇宙の運行
チチェン・イッツァの天文台カラコル。その観測窓は天体の運行に合わせて設けられている。ドーム型の建築物は、この時代のメソ・アメリカでは非常に珍しい ©牧哲雄
チチェン・イッツァを象徴するピラミッド「エル・カスティーヨ」には、春分と秋分の日の年2回、羽を持つ蛇の神ククルカン(別名ケツァルコアトル)が舞い降りる。
エル・カスティーヨの下に設置された、羽を持つ蛇の神ククルカンの頭部 ©牧哲雄
太陽が西に傾いたある時間、ピラミッドの下部に取り付けられた蛇の頭部の石像が照らし出されると同時に、階段の側面にうねるような光のジグザグ模様が浮かび上がり、頭部と合体するのだ。天からククルカンが降り立つ姿を描いた、マヤ人の神秘のイベントである。
チチェン・イッツァの天文台=カラコルも同じ秋分と春分の日、太陽と月の場所を正確にとらえるための観測窓に光が差す。マヤの人々は、太陽と月の動きを完全に把握していた。チチェン・イッツァの建築物は、すべてがこのような意味を帯びている。