テクノポップ/アーティストインタヴュー

(M)otocompo熱狂! 伝説のOTOCOたち年表(2ページ目)

MotocompoからスピンオフしたOTOCOだけのユニット、(M)otocompo。一見、オモシロ系の名前に隠されたその秘密。(M)otocompoを代表して、Dr. Usuiに「伝説のOTOCOたち年表」について語って頂きました。いつの時代にも歴史を動かしてきた男たちがいた!

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

OTOCOたちの黄金時代(DEVO)

ガイド:
wearedevo

Q: Are We Not Men? We Are Devo

このあたりから、テクノというのが入ってくるんですけど、1972年に結成されたDEVOを挙げていますね。僕が評価するのは、彼らがニューウェイヴもテクノのかけらもないオハイオ州で活動を始めたという点です。DEVOはOTOCOたちにどういう意味があるんですか?

Q: Are We Not Men? We Are Devo (amazon.co.jp)

 
Dr. Usui:
OTOCOたち、新規メンバーの二人はほとんど知らないと思いますけど。僕も、DEVOはリアルタイムには、子供だったから、間に合ってない。中高生の時に仲良かった奴から、DEVOとクラフトワークと有頂天を同時に僕は教わったんです。

ガイド:
そこで、有頂天が入るんですね(笑)。

Dr. Usui:
有頂天がインディーズかメジャーかウロウロしている時ですね。年表的には、僕個人の思い入れで行くと、もうちょっと後で1978年頃のDEVOですね。フォークに「神田川」という曲がありますよね。うちの実家が、「神田川」の曲のようなアパートを営んでいたんですよ。

ガイド:
四畳半の世界ですね。

Dr. Usui:
そうなんです。1階が実家で、2階に「神田川」のようなお兄さんたち・お姉さんたちが住んでいたんです。彼らが引っ越す時にいいものを捨てるようになってくるんです。ラジオとか。そのラジオとかを父親に与えられたのが、音楽を聴き始める原体験だったのです。最初は、ナイター中継を聞いていたんです。中継が延長されると、その後に音楽番組があったんです。それで、なかなか寝ないで音楽番組を聴くようになったのです。1980年には親にねだって、「ボムビート」という東芝のラジカセを買ってもらいました。そこからエアチェックが始まりました。

ガイド:
あの頃のラジカセってかっこよかったですよね。余計なデザインや機能が楽しかった。

Dr. Usui:
位相を変えて、ステレオをワイドにする謎のモードがあって、ワイドにしては、良い音だと。その頃に刷り込まれているから、未だに位相とか逆相とかいい音って思っちゃうんですよ。

OTOCOたちの黄金時代(クラフトワーク)

ガイド:
radioactivity

放射能

1975年のクラフトワークの『放射能』の発表。ヒットした『Autobahn』ではなく、こちらを年表にした理由は?

放射能 (amazon.co.jp)

 
Dr. Usui:
OTOCOたちの活動を加速させるきっかけになったのは、2011年3月11日の東日本大震災。震災後、自粛ムードでライヴハウス、クラブ、DJバーとか経営している友人が、お店出したばっかりなのに、イベントもキャンセルされちゃってお客さん来ないしという現実的状況があったのです。初期OTOCOたちは、結構プラプラしている連中だったので。みんなバイトもないし、やる事無いから、よく集まっていたんですよ。スタジオに行くより、バーとか空いているなら、そこでやろうと。その頃、1ヶ月くらい結構頻繁にライヴをやったんです。若い子たちが、OTOCOたちのつたない演奏で大盛り上がりしてくれたんです。吹きだまりのようなOTOCOたちが浴びる最初の承認感だと思ったんです。結成自体は2010年からやっていたんですけど、そこから本気でやろうと。そのムードの中で「放射能」のカヴァーをやったんです。

 
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