世界遺産/アジアの世界遺産

古都ビガン/フィリピン

東アジア貿易の拠点としてスペイン人が築いた植民都市ビガン。スペインのコロニアル建築をベースに、先住民イロカノ人の木造家屋や中国商人がもたらした瓦を合わせて築いた美しい街並みは、大航海時代の思い出を当時のままに伝えている。この街は太平洋戦争末期、日本軍によって破壊命令が下されたが、ひとりの日本人の決意によって救われた。今回は種々の逸話が残る世界遺産「古都ビガン」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

大航海時代の街並みが残る世界遺産「古都ビガン」

クリソロゴ通りの家並み

石畳とパステルカラーのコロニアル建築がかわいらしいクリソロゴ通りの家並み。車の乗り入れが禁止されているため、カレッサ(馬車)が行き来している

大航海時代、「太陽の沈まぬ帝国」を築いたスペインは香辛料を求めて地球の裏側にまでやってきて、各地にヨーロッパと現地の文化が融合した植民都市を建設した。ルソン島北部の美都市ビガンもそんな街のひとつ。

しかし第二次世界大戦中、アジアの多くの植民都市が戦渦に巻き込まれ、灰燼に帰した。そんな中、ビガンは軍の破壊命令に背いたひとりの軍人の決断により、大航海時代の家並みがそのまま残された。今回はそんなフィリピンの世界遺産「古都ビガン」を紹介する。

多文化融合都市ビガン

絵になるクリソロゴ通りの裏通り

とても絵になるクリソロゴ通りの裏通り。建物の高さを合わせて整然と連なる家並みはヨーロッパの古都を彷彿させる

ブルゴス国立博物館

ホセ・ブルゴス神父の生家を改修したブルゴス国立博物館。スペインの暴力的な統治に反対して処刑された神父で、フィリピンの英雄のひとりに数えられている

ジプニー(乗り合いバス)やトライシクル(三輪タクシー)でごった返すフィリピンの街並みを見慣れた目には、ビガンの歴史地区はまったくの異世界に見える。

碁盤の目状に整理された街並み、美しい石畳、コロニアル調の石造建築、優雅に闊歩するカレッサ(馬車)……メインストリートであるクリソロゴ通りを歩いていると南ヨーロッパの古都に迷い込んだようにさえ思われる。

でも、一軒一軒の建物をよく眺めると、ヨーロッパではまず見られない独特のデザインであることがよくわかる。木製のベランダ、瓦屋根、貝殻をはめ込んだ格子窓、なかには1階は石造で2階は木造なんていう家もある。

 

1階が石造、2階が木造の家屋

1階が石造、2階が木造の家屋。屋根は瓦葺きだ

フィリピンの伝統的な家屋をバハイ・クボという。竹でベースを組み、ヤシの葉を屋根にした簡素な家屋だが、風通しがいいため室内は涼しく、柔軟であるため地震や台風にも強い。ところがスペイン人入植者たちが建てたレンガや石造りの建物は地震にも台風にも弱く、何度も造っては壊された。

そこで石と木を組み合わせたバハイ・ナ・バトという半石造の建築様式が考案され、屋根には中国人が持ち込んだ瓦が採用された。こうして植民者であるスペイン人、先住民であるイロカノ人、商人である中国人の文化が融合した独特の街並みが誕生した。

 

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