2017年7月インタビュー
『ラディアント・ベイビー』等の思い出、
そして今、抱くヴィジョン
(C)Marino Matsushima
――近作では『ラディアント・ベイビー』で演じたキース・へリング役が鮮烈でした。けれど公演終盤でお怪我をされ、大きな試練だったではないかと拝察します。
「そうですね、演劇人生最大の挫折でした。今でもあのときのことは鮮明に覚えていますし、車の中でたまに『ラディアント・ベイビー』の曲を聴くと、聴いているだけで涙が出てきますね。怪我して降板したからというだけでなく、それだけ思い入れがある役で、本当にぎりぎりのところで演じていました。キースは31歳で亡くなったので、僕も31歳になるまでにリベンジしたい、もう一度演じたいという気持ちがあります。思い起こすと、一番苦しかった役でしたね。でも一番楽しかった役でもあります。あと3公演だけだったのに……と思うと、(怪我をしたことは)本当に悔しいですよね」
――傾斜舞台で踏み外して……といったお怪我だったのですか?
「いえ、なんていうことのないところで、振付が激しいというのではなくノリが激しいだけのところで、アキレス腱を切ってしまったんです。常にその日のベストを尽くすために、僕は楽屋に入ったら2時間ぐらいかけて体をあたためているし、『ラディアント』の時はトレーナーもつけていただいて準備は万端だったんですけれど、アキレス腱って準備運動の有無に関係なく、切る人は切るらしくて……。なんていうことのないところで切れちゃったのが本当に悔しかったです」
――今年演じた『紳士のための愛と殺人の手引き』はコメディであり、シリアスな場面もある作品でした。
「難しかったですね、出ずっぱりでしたし。どこかで楽屋に帰りたかったです(笑)。でも、市村(正親)さんが楽しんで8役を演じ分けていらっしゃる、その芝居を受けて僕らからも仕掛けて……。僕は野心をもって(一族の莫大な遺産を手にしようと)ある意味淡々と、目的を遂行してステップアップしていくような役どころで、楽しかったですよ。
なにより“市村正親という生きざま”を目の当たりにして圧倒されました。ヨガで全部汗を出して、それから稽古場に入って、稽古終わってからもさらにヨガに行かれる日もあって、役者の鑑だ、俺は絶対にできないと思いました。朝は寝ていたいし稽古が終わったら飲みに行きたいというタイプですし(笑)」
――ストイックなタイプではない?
「かつてはストイックだったんですけどね。もうストイックではなくなりました。でも稽古場や楽屋に入ったらもちろんちゃんとやりますよ。でも市村さんはプライベートでもちゃんとなさっていて、『紳士のための~』ではその背中をずっと見せられた感じがあって、改めてかっこいいなと思いましたね」
――『フランケンシュタイン』にも主演され、非常に順調にキャリアを築かれています。
「いやあ、ぎりぎりですよ。いつも背水の陣だと思って臨んでいます。その役が評価されなかったら次は無いですからね。一つ一つの仕事がオーディションみたいなものですよね。一回一回が勝負だなと思うし、僕はどちらかというと基本がネガティブだから、ちょっとでもミスをしたらすごくダメージが大きいですよね、あぁやっちゃったなぁ、と」
――それをアルコールで晴らすという(笑)。
「そうそう(笑)」
――現時点ではどんなビジョンをお持ちでしょうか?
「僕はミュージカルにはこだわっていなくて、どの畑でも強くいたいなと思っています。憧れているのが大竹しのぶさんで、ミュージカルでも芝居でも映像でも、常に戦って常に結果を出されていますよね。この前も電話でお話していて、連ドラ『ごめん、愛してる』に出ながら『にんじん』の稽古をされているとおっしゃっていました。大竹さんのような、どの畑でも強い役者でいたいな、と思っています」
――舞台に映像に、ますます各方面で活躍してくださるのですね。
「しなきゃいけないな、と思っています」