日本の行事は幸せを願う気持ちを形にした「愛情表現」
日本の行事は幸せを願う気持ちを形にした「愛情表現」といえます
日本の行事を紐解くと、幸せを願って邪気払いをしたり、豊作祈願をしたり、収穫を祈ったりする内容で、そのほとんどが宮中行事や農耕神事として行われていました。日本人は、様々なもののお陰で物事が成り立っていると考え、折々に感謝と祈りを捧げてきたといえます。
それが時代とともに家庭に浸透していくと、祈願の対象がより身近になっていき、家族の幸せを願うものになっていきました。たとえば、神社の節分行事は地域や氏子のために豆まきをしますが、家庭なら家や家族のために豆まきをするというように、家庭で行う年中行事は、何事も家族に結びついていくわけです。その結果、千羽鶴に見えない気持ちを託すのと同様に、行事に関わるすべての物事に幸せになるための思いが託されるようになりました。
つまり、日本の行事は幸せを願う気持ちを形にしたものといえるので、それが家族に対する愛情表現になります。受験のときに、せめてお守りを持たせてあげたいと思う親心と同じで、思いを込めて行う行事は、子どものお守りになっていくでしょう。
また、文化はそう簡単に廃れませんから、文化と愛情に包まれた日本の行事は、愛された記憶として生涯を彩っていきます。このへんが、楽しいだけで終わってしまうイベントとの大きな違いです。
「思い出ボタン」と「五つの力」
行事は文化。毎年、何かしら行事に関することにふれ、「思い出ボタン」が押されるように記憶が蘇ってきます
これらは行事以外のことでも育てることができますが、「行事育」は季節の巡りとともに繰り返されるのが大きな特徴です。すると、何度も何度もふれる機会がありますし、成長するにつれ理解力や吸収力も増していきます。
さらに、行事は循環する文化ですから、毎年その時期がくるたびに行事に関わる物事にふれて過ごします。たとえ自分でしなくても、メディアが取り上げ、店にディスプレイされ、みんなの話題になるなど、見聞きする場は多いはず。すると、まるで「思い出ボタン」が押されるように記憶が蘇り、幸せな思い出が人生に彩りを添えるのです。「思い出ボタン」は、絆を育むうえでも重要な役割を果たしていくので、蔑ろにできません。(詳しくは、「行事育・注目したい五つの力:絆になる」をご覧ください)
今、そして未来のために「行事育」を
同じ時を過ごすのなら、「行事育」を取り入れないなんてもったいない!
また、なんとなくやるのと、意義や価値を知った上でやるのとでは、やる気もやり甲斐も違ってきます。もちろん、出来ることと出来ないことがありますから、自分の出来ることをやればOK!
「行事育」は子どもの将来や親子関係にまで影響し、その価値に気付くのが遅いと後悔することになりかねません。今、そして未来のために「行事育」をぜひ活かしてください。
>>> 「行事育」注目したい五つの力
※この記事は【親子の根っこをはぐくむ 和文化研究家・三浦康子の「行事育」メソッド】コンテンツのひとつです。