プロデューサー、本間柑治さん
ガイド:フィルムス脱退後、岩崎さんは、TPOで活動されますね。TPOはPROJECT GREENが母体とありますが、これはどんな集団だったのですか?
岩崎:
PROJECT GREEN自体は、僕はやっていないのですが、PROJECT GREENをやっていた本間柑治さんを紹介されて、『Honma Express』とか凄い成熟したサウンドをやっている人がいるんだなぁと思って。フィルムスのプロデューサーを本間さんにやってもらったらと、多分、僕が忠治とかに引き合わせたのです。それ以降も本間さんとの付き合いは続いていき、TPOのプロデューサーも。なおかつ、ROLANDのコンテストで知り合った安西君(安西史考)とはずっと付き合いがあって。本間さんはヨーロッパ的なセンスもあって、遊び友だちとしてもいいなと。PROJECT GREEN自体は、直接フェアライトとは関係がなかったのかなぁ。TPOの形になった時に、本間さん、安西君、天野君(天野正道)、あと僕の後輩で福永君(福永柏)でフェアライトで何かをやるという意識で始めました。
TPOのためフェアライトCMI修行
ガイド:TPOの『TPO1』(1983年)ではフェアライトCMIが使われる訳ですが、岩崎さんは修行のためにシドニーに行かれていたんですよね。どのくらいの期間、そしてその間、どのような感じで修行されていたんですか?
TPO1 (Amazon.co.jp)
3週間です。その期間に使い方を覚えて、持ってかえってきました。
ガイド:
フェアライトCMIを日本に持ち帰ったとの事ですが、今はiPhoneのアプリになっていますが、フェアライトCMIは大変高価な機材で、当時1200万円くらいと聞いていますが、それ買っちゃったんですか?
岩崎:
もちろん、僕じゃないです。スポンサーがいて、TPOをマネジメントするTBS系の会社がお金を出すから、手に入れようと。僕に1,200万円あったら、違う事に使っています(笑)。フェアライトの評判は聞いていたので、このプロジェクトには強く関わりたかったという事は強く思っていた記憶があります。
ガイド:
フェアライトCMIを先んじて使っていた人たちとしては、Buggles、Art Of Noise、YMOあたりを思いだすのですが、岩崎さん自身は、どうしてフェアライトCMIを使ったサウンドをやろうと思われたのですか?
岩崎:
一つには、それまでのシンセサイザーが飽和状態になっていたとうのがありますよね。新しい切り口で電子音楽を作れるものと思いこんだのです。
(後編へ続く)
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