フィルムス時代は青春そのもの

ガイド:
振り返ってみて、フィルムスとは岩崎さんにとってはどんなバンドでしたか?

岩崎:
僕は、音楽そのものよりもバンドを続けていく上でのいっしょにやる“遊び”というのが楽しかった。フィルムスは、練習に熱心で、テクニックを目指すバンドではなかったから、いっしょにワイワイやっていくのが、バンドの音になっていくみたいな。メンバーもいっぱいいて、人付き合いも広いバンドだったので、学校でいうと放課後みたいな。学校が終わって、一斉にみんなで行って、食い逃げをするとか(笑)。まぁ、知り合いの店だから、後で払いに行くんだけど。録音で調布のベースに忍び込んで、ガラスを割って、音を録ったりとか。国際基督教大学に夜中に忍び込んで、プールでみんなで泳いだとか。結構、青春ものの世界。
でも、バンドのライヴでは、無理難題ばっかり言ってたんだ忠治は……スクリーンを貼って、破って出てくるステージとかやっていたんだけど。後々、幸宏さんのステージにもアイデアが伝わっていたんだ、オリジナルは俺だと言わんばかりに、忠治は言っていました。

ガイド:
新宿LOFTで1999年10月29日にあった「DRIVE TO 2000」で、フィルムス再結成ライヴが見れたのが僕にとってはいい思い出です。フィルムスは東京でしか活動していなかったので、初めて見るフィルムスでした。どのような経緯であの再結成となったのですか?

岩崎:
2000年になるし、ちょうど20年経ったから、やろうという事位しかなくて。フィルムスとして次のアルバムを作るとかそういう話でもなかったから、とりあえずイベント的に80年代を振り返ろうというだけの話だと僕は思っていました。
そう、あのライヴは、大受けで、タテノリで踊っているお客さんもいたけど、現役時代のフィルムスはあんなに受けた事はなかったです(笑)。当時、フィルムスのお客さんは、クールで斜に構えている感じの人が多かった。「俺たちってこういうバンドだっけ?」と冗談で言っていました。