突然の七五調

歌舞伎の世話物というのは比較的リアルな芝居です。江戸幕府は「現代劇」の上演は禁止していたから、時代設定だけは鎌倉時代などにしてありますが、当時の江戸の風俗をリアルに描写している場面も多く、親しみやすい演目も多くあります。
けれど、そうした世話物でも突然様式的な世界に飛躍することがあります。人気作者黙阿弥の書いた芝居にはそんな場面がたくさんあります。
べんてんこぞうきくのすけ

弁天小僧菊之助


「弁天娘男女白浪」では、弁天小僧のカタりがばれる直前までのリアルな芝居から、突然「知らざぁ言ってきかせやしょう」と、有名な七五調のセリフになります。慣れない方には「おいおい、どうしちゃったの?」とも思われそうな飛躍です。
これを単純に、役者の芸を見せるために挿入された様式的な場面だということもできますが、ちょっと注意して見ると、単にそうした効果を狙っただけではないことが分かってきます。
世話物の中でのリアルから様式への移行は、芝居の世界が、それまでに描かれてきた日常的な世界から非日常の世界へ移行したことを意味していることが、とても多いのです。


弁天小僧を例に話を進めましょう。

芝居の序盤では、美しい娘が店にやってきて、万引きの疑いをかけられます。その疑いは実は間違いで、逆に娘の警護役である侍に、見得は慰謝料を請求されてしまいます。ここまでは事件性はあるにせよ、ごく日常的な風景です。

しかし、後半に入ると、この娘が男であったことが分かります。まさしく非日常の出来事であり、しかもそのカタりの男はウソがばれてもびくともしない。そうした非日常に場面が移ったところで、弁天小僧の名乗りがはじまります。
役者の芸を存分に楽しませながら、芝居の演出として「日常」と「非日常」のスイッチを実現した、極めて洗練された手法なんです。


おじょうきちさ

お嬢吉三

「三人吉三(さんにんきちさ)」という芝居で、故・中村勘三郎さんと串田和美氏の演出で人気になった「コクーン歌舞伎」の時、日常から非日常への飛躍を視覚的にも見せる興味深い演出がありました。

お嬢吉三という女装の泥棒が、男の本性を表して七五調のセリフを言う有名な場面があるのですが。通常、川べりで一本杭に足を掛けたお嬢吉三が鐘の音とともにセリフを言い出すという演出を、串田氏は七五調のセリフが始まるとともに役者の乗った舞台ごと、回り舞台を利用して回転させたのです。この仕掛けで、ふだん歌舞伎を余り見たことのないシアターコクーンのお客さんも、場面が日常から非日常へ飛躍したことが直感的に理解でき、リアルと様式を行き来する歌舞伎のドラマを容易に受け入れることができたように思えました。

このように、歌舞伎には様々な洗練された、また演劇的に高度な演出がふんだんに盛り込まれています。これこそ、四百年という時間を掛けて、観客と役者たちが、様々な約束事を積み上げて熟成させてきた歌舞伎の魅力なのだと思えます。


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