テレビとグループサウンズ
ガイド:リンド&リンダースではテレビ出演も多かったですね。
DAI:堀さんが入ってからノーベル製菓のCMが来たんですよね?掘:そうやね。アマンドキッス。
DAI:アマンドキッスのCMソングはいつ吹き込んだんですか?
掘:正確には覚えてないけど、僕が入ったごく初期やね。母親が近所の人に「うちの息子がテレビに出るんでぜひ見てください。」って言いまわってね(笑)。やけどCMで時間も短いから、加賀テツヤは2、3秒映るけど他のメンバーは0.5秒くらいのもんでね。まばたきも出来へんくらいやから、そのうち「何番目にうちの息子が出ますから。」ってなって(笑)。
ガイド:他にも『スミ子と歌おう』(MBS)とかありましたね。どこかに映像残ってないんでしょうか?
掘:写真とか台本はちょっとだけ残ってるけど、映像は見たことないなぁ。
DAI:資料としてメーカーや放送局に残ってる可能性はあるだろうけど整理されてないんでしょうね。グリコの資料館では昭和30年代からのCM映像が見れたりするんですけど。当時はビデオが車と同じくらいの価値の時代だったから、一般ではほとんどないだろうし。
ガイド:ノーベル製菓や毎日放送にぜひ発掘をお願いしたいところですね。リンド&リンダースがテレビに出演するにあたって心がけてたこととかありますか?
掘:衣装はいいもんやったし、あとは色やね。僕のギターはエピックのサンバースト色やってんけど、社長が「これからはテレビがカラーになる時代や。そんな陰気臭い色で映ったらあかん。」ってゆうて。じゃあ何色がええねん、ってなった時に、ちょうどその頃サイケデリックっていうのが流行ってたわけ。社長もそれを意識してたし、とにかく派手にってことで全員ピンクにさせられた。
宇野山:僕も三畳一間のアパートでベースをピンク色にペンキ塗って失明しそうになった(笑)。
DAI:1967年からカラー放送が急に増えてきたから、当時のGSの衣装が派手なんはそういう理由もあるみたいですね。
脱退したメンバー(サニーファイブ)のその後
ガイド:途中でリンド&リンダースを辞めたメンバーとのお付き合いって今でもありますか? サニーファイブ作った高木和来さんとか。掘:高木さんってもう亡くなってるんやっけ?
宇野山:高木はもうとっくに死んだ。
ガイド:亡くなってたんですか! 初耳でした。
掘:大塚(善章)さんがそない言ってたんやったかな。でも迎修二はおりますよ。
宇野山:迎は祇園の高級クラブでマネージャーやってるねん。
掘:こないだ関空のアウトレットで会ってね。若いお姉ちゃん連れて「バッグ買ったるんや」って(笑)。
宇野山:あいつは金持ちにかぶれてしまった奴(笑)こないだ、あいつの店に飲みに
行ってん。ザ・タイガースのピー(瞳みのる)、岸部一徳、それとリンドの初期におった澤田と四人で。一本20万円のワインとか出てきたよ。
グループサウンズからフォークへ ブームの移り変わり
ガイド:1969年初頭からGSブームも下火になっていったと言われてますが、実際に活動する中で実感することはありましたか?掘:GSブームが終わってフォークブームに移行する時期に毎日放送の中にミリカ音楽出版っていう部署ができて(1968年7月31日)、リンドも少しかんでたんよ。そこではシンガーソングライターを募集してて、曲が良かったらメジャーに出してあげますって企画をしてたんやけど、来る曲みんな小節はあわへん、コード進行がおかしい、字余りがあるって問題になったんを覚えてるわ。音楽の基礎を勉強した我々から言うとおかしいことばっかりやったんやけど、結局は「かまわへんのちゃうか?これは一つのジャンル、新しいジャンルやで。」ってみんな納得したね。それからしばらくして吉田拓郎とか井上陽水とかいろいろ出てきたんやけど、音楽シーンの移り変わりを感じた印象的なできごとやったね。
ガイド:加藤ヒロシさんも脱退後はフォークグループと共演することが増えてましたね。『戦争は知らない』をフォーククルセダーズがカバー(元々は加藤ヒロシが坂本スミ子に提供。)するなんてこともありましたし。リンド&リンダース自体ではフォークを意識した音楽作りとかはなかったんですか?
掘:リンド&リンダースにも『夜明けの十字架』とか戦争の悲劇を歌った曲はあったけど、フォークみたいに意識して反戦するって意識はなかったなぁ。
結婚してリンド&リンダースを脱退
ガイド:リンド&リンダースが実質解散したと言われているのは大阪万博の時ですが、その時堀さんはまだリンドに居はったんですか?掘:いや、僕はちょっと前に辞めてた。万博のステージはお腹が大きい嫁さんと一緒に観に行ったよ。69年には辞めてたな。
現在の活動
ガイド:長らくライブとかにうかがえてませんでしたが、最近はどんな活動をされてるんでしょうか?掘:加賀テツヤがおるころにやってたベンチャーズとかは最近ぜんぜん。最近は大阪の名村造船所(イベントスペース)で地域のバンド集めて定期的にイベントやっていこうとしてるんやけどね。今のところお金出してプロを呼べるような感じではないんやけど、よかったら観に来てください。
ガイド:ぜひ観に行かせてください。いつまでも現役で活動されているのが嬉しいです。
掘:現役ゆうても楽器屋でギター買おうとしたら若い店員のコとか「おっさんがギター始めるのになんでそんな高いやつ選ぶねん。」みたいな応対してくるよ(笑)。ムッとして「暇があったらインターネットで調べといて。」って名刺わたしとくんやけど、たまに「失礼しました。」って電話かかってくる。でも「GSとか知ってる?」って聞いても「知りません。」やって(笑)。
インタビューを終えて
なにごとにも実直で飾らない人柄ゆえだろうか。堀さんのいろいろなお話を通して、グループサウンズブームに参加した当時の若者たちの等身大の姿が垣間見えた気がした。人は年を経るごとに大人になってゆくけれど、本質はなにも変わったりしない。時代の変化に翻弄されることもあっただろうが、自分自身は変わったと思わずに今もマイペースに活動を続ける堀さんの姿はミュージシャンの一つの到達点であるように思えた。かつて関西を席巻した所属事務所『ターゲットプロ』の跡地を見つめる堀さん。現在、跡地には風俗ビルが建つ。
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