インタビュー後編

2013年4月4日、関西を代表するグループサウンズのスターだった加賀テツヤの7回忌について打ち合わせるがてらおこなわれたザ・リンド&リンダース堀こうじインタビューの後編。

リンド&リンダースのメンバーである宇野山和夫さん(ベース)、パープルシャドウズ、ジュテーム、SLOGなどグループサウンズに縁深いバンドでキャリアをもつ剣正人さん、加賀テツヤと親交のあったグループサウンズ研究家のDAIさん、そして当コーナーガイドの中将タカノリが参加している。

GSスターの生活やお給料は?

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味奉行の餃子に舌鼓をうつ堀こうじさん


ガイド:リンド&リンダースに入ってからはどんな生活だったんでしょうか? GSの中でも比較的に売れてた人気バンドですし、当時の暮らしぶりとか気になります。

掘:この前、当時の給与明細が出てきて、お給料とか演奏の超過分とかいろんな項目見てると面白くてね。ちょうど『銀の鎖』がヒットした頃で、その印税も入ってるんやね。7万枚分の印税が入って、一枚当たり0.6円やから僕の取り分は42,000円(※1968年当時の高卒初任給23,000円、大卒初任給30,600円 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」より)。ちょっと大きいね。ギターの月賦とか衣装代が引かれたりですぐに無くなったけど。

ガイド:経費が自己負担やとキツい気がしますね。

掘:なんで食べていけたかと言うと、みんなで食事行ったら芸能人はお金払わんでもよかったから。女の子が出してくれたりね。東京に進出して目黒ハイツってとこで合宿した時なんか、初めはお金なくて食事はラーメンばっかり。でもそのうち大きな観光会社のお嬢さんがファンになって食事に招待してくれるようになったり。

あと、当時は地方巡業を「アゴ、アシ、マクラ、ゴーゴー付」ってゆうてね、アゴは食事、アシは電車賃、マクラは寝場所やね。それだけのものを保証してもらって、あとはゴーゴークラブで女の子と遊べるという言い回し(笑)。若いからやっていけたんかなぁ。ギャラはいいもんじゃなかったし大変やったけど、でも今それだけのことをしようと思ったらすごいお金はらわんといかんね。

宇野山:女の子だけでも一晩いくらかかるかやしなぁ(笑)。

ガイド:当時の人気者のモテっぷりってすごかったんでしょうねぇ……。

掘:だけど宇野山さんが厳しい人やって、僕が加入した時「お前だけはヨゴレになるな!」ゆうてジャズ喫茶とかで演奏してても終わったらすぐ腕ひっぱって帰らされたよ。他のみんなはしたい放題やってるのに(笑)。

ガイド:宇野山さんだけ身持ちが固かったんですね。

DAI:そりゃあ宇野山さんは信心深い人やから。

掘:宇野山さんが途中で辞めたときは「ヤッター!」って思ったよ(笑)。バンドやってて遊ばれへんくて何が得やねん!と(笑)。

宇野山:こうじ、おまえもか!やね(笑)。

リンド&リンダースのボーカル事情と『雨の御堂筋』

ガイド:堀さんが入った当時のリンドの構成はエレキやロカビリーの名残があるというのか、グループサウンズとしては異色なところがありますね。

掘:リンド&リンダースと言うけど、リンドが演奏者、リンダースがボーカルのっていう意識の違いがあったね。リンダースには加賀テツヤ以外にも初期には女の子もいたし、高木和来もいたし迎修二、榊テルオもおった。

ガイド:晩年の加賀さんのボーカルはしょっちゅう聴いてたからよく覚えているんですが、GSの頃はどんな印象だったんでしょう?

掘:当時の加賀はけっして特出した人じゃなくて、歌だけなら個人的にはテルオのほうがうまいと思ってた。リンド&リンダース辞めてからもサパークラブの『月光』とかで歌ってたくらいやしね。でもやっぱりルックスでは加賀がバツグンによかったから社長命令で「加賀をメインボーカルで売り出す」ってなったんやね。加賀の歌が良くなったんはリンドが解散してアメリカに行ってからやね。ブルースとか別の要素が加わったから。

ガイド:テルオさんのほうが当時のポップスや大人の歌には向いてたんですね。

掘:実はテルオ用の曲も作られて録音する寸前までいってたんやけど、たまたま坂本スミ子さんがスタジオに来て「この曲いいから私が歌ったるわ」ってことになって取られてしまった。それが『たそがれの御堂筋』。演奏とかコーラスは我々がしたんやけどテルオは怒ってたね(笑)。でも大ヒットしたし、結果的にはよかったのかな。