演歌・歌謡曲/グループサウンズ・ニューロック

ザ・リンド&リンダース 加賀テツヤの思い出

沢田研二さんを通して興味をもったザ・リンド&リンダース。その中心メンバー加賀テツヤは、GSブーム前夜の関西では沢田研二と並ぶ人気者だった。晩年の加賀テツヤと身近で接したガイドが思い出をつづるGSよもやまばなし。

中将 タカノリ

執筆者:中将 タカノリ

演歌・歌謡曲ガイド

ザ・リンド&リンダースとは

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ザ・タイガースとザ・リンド&リンダース

今回お話しするのはザ・リンド&リンダースの加賀テツヤさんについて。ご存知ない方のために前置きの説明をしておく。

ザ・リンド&リンダース

1965年、当時関西の大手プロダクションだったターゲットプロの古川益雄の呼びかけでギタリストの加藤ヒロシを中心に結成。演奏部門の『ザ・リンド』とボーカル部門の『リンダース』から成るエレキとグループサウンズの過渡期のような構成が特色で、主に関西のジャズ喫茶やテレビ番組で人気を集めた。ザ・タイガースがデビュー前は同じアパートで生活するなど、交流が深かったことは有名。

1967年2月のレコードデビュー後はメインボーカルの加賀テツヤを前面に押し出し、『ギター子守唄』『銀の鎖』がヒット。ブロマイドの売上や雑誌の人気投票でも全グループサウンズの20位内にランキングするなど一定の支持があった。1969年以降は加藤ヒロシが脱退したことで活動が不安定になり、1970年解散。


沢田研二を通してリンド&リンダースを知った


中学生くらいから沢田研二さんが好きだった。同級生たちは安室奈美恵だシャ乱QだSPEEDだと騒いでた1990年代後半。ほとんどテレビにも出ていなかった時期で、もちろんリアルタイムなヒット曲があるわけでもない沢田研二さんに僕は他に代えがたい刺激と衝動を感じていたのだ。

ゴールデンタイムの音楽番組に出てくるアーティスト達に何の魅力も感じることが出来なった僕は、沢田研二さんを通してグループサウンズ、80'Sニューウェーブ、ロックンロール、70~80年代歌謡曲など、これまた陽の目を浴びていない音楽をひたすら地中深く探っていくことになる。リンド&リンダースもその一つだった。

当時、なけなしの小遣いをはたいて買った二枚組ベストアルバム『Royal Straight Flush 1980-1996』には沢田研二さんの経歴について

1966年1月15日、姫路・国際シネマでリンド&リンダースの前座としてファニーズ(ザ・タイガースの前名)が初舞台

というふうに記してある。僕はなぜかこの得体の知れないリンド&リンダースが気になって仕方なくなり、方々のレコード店を訪ねてCD(ベスト盤は当時まだ発売されてなかったように記憶している)やレコードを探したものだった。

とは言っても当時からそこまでリンド&リンダースに熱中していたわけではない。
会いたいとか話したいなんて思いもしない。ただの音楽好きの子供だった僕にとって、彼らははるかに遠い世界の存在だったから。その距離が急激に縮まったのはほんとうに奇跡的な偶然のめぐり合わせだった。

運命的な加賀テツヤと出会い

18歳から本格的にバンド活動を始めた僕は、同時にライブ、DJ問わず関西中の音楽イベントに顔を出すようになっていた。そんなある時、ライブハウスの階段で開場を待ってブラブラしていると、たまたま鉢合わせたスティ―ビー和田さんというミュージシャンから

「君、ミリタリールックで格好いいね! GSとか好き? 今、僕はリンド&リンダースの加賀テツヤさんのバックでお手伝いしてるんだけど。」

と声をかけられたのだ。和田さんとはその時がほとんど初対面だったのだが、「GSもリンドも好きです。」ということを伝えるととても親身なっていただき、加賀さんに会う機会を作っていただいた。
 

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左から加賀テツヤさん、スティ―ビー和田さん、ガイドの中将タカノリ

加賀さんは芸能人ぶったエラそうな態度をとったり人を分け隔てすることがない純真な人柄で、孫でもおかしくないくらい年の離れた僕にも友達のように気さくにファンキーに接してくれた。僕たちはすぐに一緒にお酒を飲んだり、互いのライブを行き来したり、共演したりするようになった。

加賀さんにはいろんな恩がある。単に接していられるだけでも十分に嬉しかったのだが、うだつのあがらないバンド活動をしていた僕をメディアや大型イベントに出して、内田裕也さんや加橋かつみさんとご一緒させてくれたのは全部加賀さんのおかげ。ギャラも払えないのにイベントに出演してくれたりもした。

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10代~30代がメイン客層のロックイベントに飛び入りしても「あの人かっこいい!」ってなるパワフルなステージングでした


あの頃の加賀さんは2005年に『加賀テツヤとリンド&リンダース』を再結成し、大きな仕事もいくつか来ているようで、僕からは年々活動が充実しているように感じていた。また、加賀さんは70年代以降、『加賀テツヤとマッシュルーム』や『ユグドラジル』などでいくつかの音源リリースはあったもののソロとしての代表作がなかったので、新作アルバムの制作も具体的に計画していたようだ。

さよならは突然に

そんな矢先の2007年後半。加賀さんは2回続けて入院した。もともと肺に持病があったので、疲労や風邪で体力が落ちた時に大事をとって入院する、そんな感じだと思っていた。病室を抜け出して知り合いのライブに遊びに行ったりしていると聞いていたから心配もしてなかった。入院中の加賀さんとは何回かメールした。

「今年は後半があかんかったから来年はもっと音楽したい。考えてることがあるので、よかったら手伝ってください」

覇気あふれるお便りが来たのが嬉しくて、すぐに快諾の返信を送った。その十日後の12月30日、容態が急変した加賀さんは帰らぬ人になった。

話をしている時のほがらかな楽しさ、ライブイベントで歌っている時の熱気、握手する時の力強いぬくもり、全部さっきのことのように覚えているのにもう加賀テツヤはこの世からいなくなってしまったのだ。
 

その後~ メンバーのインタビュー記事を続々と掲載していきます

お葬式や一連の追悼イベントが慌ただしく終わってからはリンド&リンダースも休止状態。メンバーのみなさん(宇野山和夫さん、堀こうじさん、榊テルオさん、浜田藤丸さん)とも会う頻度が少なくなってしまっていた。僕自身、どうにか加賀さんやリンド&リンダースの業績を後世に語り継ぎたいと思ってはいたのだけれど。

しかし最近になって、少しづつだが新しい動きが見え始めている。もしかしたら再始動もあるかもしれない? そんな動きの第一弾として今後、このコーナーでは何本か続けてリンド&リンダースメンバー、関係者のインタビューをお届けしていきたいと思っている。

当時のお宝話、現在進行形のお宝話の数々。ザ・タイガースや当時の音楽シーンにまつわる話もたくさんある。幅広い多くの方に読んでいただけることを願ってやまない。

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