フランシス・ベーコンとは

フランシス・ベーコンの作品

《人物像習作 II》1945-46年 ハダースフィールド美術館蔵

フランシス・ベーコンは1909年、アイルランドのダブリンに生まれました。子どもの頃はぜんそくに悩まされ、学校に通うこともできませんでした。早くから同性愛を自覚していて、退役軍人で競走馬の訓練士であった父親とそりが合わず、家を追い出されます。そしてパリでピカソの作品を見て画家になる決意をし、ロンドンで家具の設計や室内装飾の仕事をしながら独学で絵を描き続けます。

25歳の時、初の個展を行うも不成功に終わり、再び長い下積みを経て、36歳のときに『磔刑像の下の人物のための3つの習作』という衝撃的な作品を発表し、画壇で認められるようになります。41歳で王立芸術大学で教えるようになり、45歳でヴェネツィア・ビエンナーレに出品、53歳のときにテート・ギャラリーで大回顧展が、62歳のときにパリのグラン・パレで大回顧展が開催され(英国ではターナー以来の快挙)、66歳のときにメトロポリタン美術館で近作展が開催されました(現存作家としては極めて稀なこと)。生前ほとんど評価されなかったゴッホなどと比べると、画家としては幸せだったと思います。

フランシス・ベーコンの作品

《叫ぶ教皇の頭部のための習作》 1952年 イエール・ブリティッシュ・ アート・センター蔵

おそらく、ベーコンの作品に接すると、取り憑かれたように魅了されてしまう人と、ものすごく嫌悪感を覚えたり拒絶反応を起こす人に分かれると思います(右上の2点は、今回の展覧会にも出品されている作品です)。人物の顔が醜く歪んだりかき消えていたり、牙をむき出しにして叫びをあげていたり、身体がほとんど肉塊のように描かれていたり……その作品は、人間性を剥奪された状態、心の闇や恐怖そのものを描いたと言われます。

浅田彰さんはいみじくも「ベーコンは、世界大戦後の人間を、いわば絶滅収容所の肉塊のように描いた」と評しています(『磔刑像の下の人物のための3つの習作』は1945年に発表されました)。二度の世界大戦、アイルランド独立戦争の悲惨さを経験したベーコンは、「私が描くものは今の世界の恐怖にはかなわないよ。新聞やテレビをごらん。世界で何が起こっているか。それに肩を並べるものは描けない。僕はただそのイメージを描いた、恐怖を再現しようとしたんだ」と語っています。

そのようなベーコンの作品は、美術界だけでなく、さまざまな人たちに影響を与え続けています。特に『エイリアン』のクリーチャーを生み出したH・R・ギーガーやデヴィッド・リンチが有名ですが(『イレイザーヘッド』とか劇場版『ツイン・ピークス』の赤いカーテンの部屋とか)、ティム・バートンの『バットマン』(1989)の中で、ジャック・ニコルソン扮するジョーカーが美術館に展示されている絵画を片っ端から切り刻んでいくシーンで、フランシス・ベーコンの作品だけは「これはダメだ、気に入った」と言うシーンも象徴的でした。