莫高窟の見所

莫高窟内部

こちらも復元窟で、第285窟。オリジナルは6世紀の建築と見られている。文様はどこか西アジアのアラベスクを彷彿させる。このように内部のデザインはさまざまで、時代時代の世界観を表現している

九層楼

九層楼。下の7層は庇で、上の2層は屋根のような構造になっている ©牧哲雄

莫高窟は鳴沙山の東側に伸びる全長約1,600mの断崖を掘り抜いて造られた石窟寺院だ。切り立った岩壁に穴を掘り、石窟の中を装飾し、仏像を置いて寺院とした。以下では莫高窟の見所を紹介する。

■窟檐(くつえん)
石窟の入口に設置された木造の装飾物。第96窟の九層の窟檐は莫高窟のシンボルになっている。このように巨大なものもあるが、多くは短い庇(ひさし)があるだけか、窟檐を持たずに直接石窟が口を開いている。

■石窟
世界遺産に登録されている石窟の数は492。時代別に分けると、五胡十六国9、北魏23、西魏2、隋97、唐225、五代十国34、宋70、西夏25、元7となる。366年の開窟といわれるが当時のものは残っておらず、現存する最古の石窟は5世紀はじめ、五胡十国時代のものと見られている。自由に見学できるのは主だったいくつかの石窟だけで、あとは合い鍵を持ったガイドの引率によるツアーとなる。

 

■仏教壁画
石窟を掘ったあと、壁面や天井を漆喰で塗り固め、顔料を使ってそこに仏画を描いた(フレスコ)。そうした彩色壁画の総面積は45,000平方mに及ぶ。壁画の内容は、ブッダの伝記や前世の物語、極楽浄土、種々の如来や菩薩を描いたものが多い。

■仏像
石窟群の中には2,000を超える仏像が収められている。初期のものはギリシア色や遊牧民族色が強く、顔つきが濃かったり、特別な脚の組み方をしていたりする。時代が下がるに従ってそうした多彩さはなくなるが、柔らかく、落ち着いた造形になる。

■敦煌文書と第16窟、第17窟
1900年、王道士が第16窟奥で、土砂に隠された第17窟を発見した。そこから一説では45,000点といわれる経典や写本、仏画、公文書、私文書が見つかり、敦煌文書と名づけられた。これらの多くは海外に持ち出されたのち、敦煌学という学問が成立するきっかけとなった。

■莫高窟陳列館
莫高窟からの出土品が陳列されているほか、石窟がいくつか復元されている。オリジナルの石窟内部は撮影禁止なので、写真がほしい人はここで撮ろう。

敦煌とその周辺の見所

月牙泉

月牙泉。天然のオアシスで、仙人が住んでいたという伝説を持つ。もともと道観(道教の寺院)だったようだが、近年仏教寺院に建て替えられた ©牧哲雄

漢代の長城

玉門関近くにある漢代の長城。遊牧民族の騎馬を止めるために築かれたもので、簡単な土壁でできている ©牧哲雄

敦煌の周辺には莫高窟以外にも多数の見所がある。簡単に紹介しよう。

■月牙泉(げつがせん)
鳴沙山の山中にあるオアシス。湧き水をたたえたオアシスには仏教寺院が隣接しており、不思議な空気を醸し出している。砂漠といっても世界の砂漠の多くが岩石砂漠や礫砂漠で、デューン(巨大な砂丘)が見られる場所は多くない。ここにはたくさんのデューンがあり、砂滑りやラクダによるキャラバン行を体験できる。

■陽関
敦煌から西に約70kmの位置にある関。武帝が玉門関とともに建て、西の遊牧民族に睨みを利かせた。玉門関との間に5km毎に烽火台を置いていたという。現在残っているのは烽火台のみで、陽関博物館が併設されている。

 

■玉門関
玉門関内部

玉門関内部。西と北に穴があり、出入口になっている ©牧哲雄

敦煌の北西約85km、陽関から北に約50kmのの位置にある関。紀元前108~前107年に漢の武帝が版図の最西端に建て、一時は数万の兵を要して国境を取り締まっていたという。こちらは「シルクロード:シルクロードの始点、天山回廊の道路網」の名前で世界遺産に登録されている。

近くには漢代の長城や河倉城(かそうじょう)などがあり、ツアーに参加すると同時に訪れることが多い。漢代の長城は土で造られていて簡素だが、ミニマルな姿が美しい。

■莫高窟以外の石窟群
莫高窟の他にも、敦煌周辺には西千仏洞、楡林窟、水峡口窟をはじめ、多数の石窟がある。