テクノポップ/アーティストインタヴュー

歌姫、野佐怜奈ヒストリー(2ページ目)

野佐怜奈ちゃんにインタヴューです。「その名はスペィド」、響レイ奈、そして現在も活動中のノーサレーナとしての活動を経て、野佐怜奈としてソロデビュー。デビュー作『don't kiss, but yes』は、元Pizzicato Fiveの高浪慶太郎さんの全面的プロデュースの元、あの時代が蘇ります。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

スペィド加入後……

ガイド:
では、かなり違うジャンルで歌っていたのですね。

野佐怜奈: 
そうですね。その後、バンドメンバー募集の掲示板を見ていて出会ったのが、始動する前の「その名はスペィド」。コーラス&ダンスを募集していました。応募して、なんとか合格(笑)。数回ライヴをした後、初代の方からフロントアクトを受け継ぐことになりました。

ガイド:
dialswomawase

ダイヤル"S"をまわせ!

僕はスペィドを一度見ているのですが、その頃は既に野佐さんは居られませんでした。2009年3月に発売されたファースト・アルバム『ダイヤル"S"をまわせ!』まで活動をしていたのですか?

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野佐怜奈:
はい、そうです。本当にいろんな所でライヴをさせてもらって、ようやく4年目にCDが発売になりました。
 

響レイ奈として

ガイド:
スペィドの後は、響レイ奈としての活動という事であっていますか?

野佐怜奈:
あっています。歌にもう少し向き合える活動がしたくて。

ガイド:
これは、考え過ぎかもしれませんが、「響レイ奈」って変換すると「日々綺麗な」となりますね。

野佐怜奈:
全然意識してなかったですけど、結構いろんな方から言われますね。あ、実は最初「西園寺レイ奈」というのも候補でした(笑)。ゴージャスで昭和な雰囲気の名字にしたかったんです。

ガイド:
gunandthewoman

ピストルと女

『ピストルと女』というアルバムを2011年にリリースされていますね。タイトル曲しかまだ聴いていないのですが、しっとりと不幸を歌い込んだ昭和歌謡路線ですね。僕は歌詞が好きで……「その後、死ぬから」と歌う部分。でも、男としては究極の恐怖を感じます。

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野佐怜奈:
そうかもしれない……。女の恨みは怖いですからね!

ちなみにその名はスペィドは当時、60年代とか70年代の楽曲の雰囲気も濃くて。昭和歌謡系のライヴイベントやDJイベントにもたくさん呼んで頂きました。若い世代でもクールなものとして受け入れてくれる人が多くて、イベントは盛り上がっていましたね。偉そうなことはいえないですけど、そういう印象です。それと純粋に、昭和の曲は、歌が際立っているものが沢山あるなって。ソロで歌ってみたいと思っていた時に、たまたま青い部屋(当時)でイーガルさんに出会いました。彼は現代音楽作曲家でピアニストなんだけど、歌謡曲も作っていたんです。「良かったら歌って欲しい曲がある」と言われ、「ソロになるからお願いします」というやり取りがあったような気がします。その曲が「ピストルと女」でした。

ガイド:
響レイ奈としての活動は現在は休止なのですか?

野佐怜奈:
現在、ソロでの活動は「野佐怜奈」です。
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