nosareina

取材後の野佐怜奈さん

久しぶりに、歌姫という言葉がぴったりの歌手としての存在感のある方に出会いました。彼女の名は、野佐怜奈。「その名はスペィド」、響レイ奈、そして現在も活動中のノーサレーナとしての活動を経て、野佐怜奈としてソロデビュー。デビュー作『don't kiss, but yes』は、元Pizzicato Fiveの高浪慶太郎さんの全面的プロデュースの元、豪華なゲストを迎え、“今”と“あの時代”を交差させてくれます。2013日2月3日、代官山の「山羊に、聞く?」にて、野佐怜奈さんに高校時代から現在まで至るまでのお話を訊かせていただきました。

久しぶりの関西ライヴ

ガイド:
先日の 心斎橋JANUSであった初春音演会で、野佐さんのライヴを初めて見せて頂きました。すごく楽しかったです。関西でライヴをするのは、初めてですか?

野佐怜奈:
「その名はスペィド」(以前所属していたグループ)として一度関西でライヴをしたきりで、かなり久しぶりでした。

ガイド:
関西が大好きとかお聞きしましたが、野佐怜奈としてソロで関西でライヴをやってみてどうでした?

野佐怜奈: 
関西は久しぶりなので最初は不安でした。でも、幕が開いて、既に手拍子ありだったんで内心よかった~と(笑)。関西の人はあたたかいなぁーと。

スペィドに入るまで……

ガイド:
あのライヴの後、野佐さんの経歴についてネットでいろいろ調べてみたのですが、とても混乱してしてしまいました。じゃ、時系列で野佐さんヒストリーを教えてください。

野佐怜奈:
はい、分かりました(笑)。

ガイド:
先ほども出て来た「その名はスペィド」が、シンガーとしてのデビューなのですか?

野佐怜奈:
はい。スペィドがキャリアのスタートでした。高校でコーラスをやっていて、大学に進んでからは学校の授業とは別に、何名かクラシック系の歌の先生に師事しました。ニューヨークに行ったりもしました。ちなみに一番印象的だった先生は横須賀基地の教会でピアノを弾いていたアメリカ人の先生。日本に来る前はアメリカの劇場で働いていた先生にそこでレッスンを受ける事になって、教会で歌ったりしました。そのときは基地に住んでる人が最初のお客様で、全然上手くもない歌だったと思いますが泣いてくれる人もいて。言葉の壁を超えて感動してくれるなんて歌ってすごいなぁと。歌手になりたいと意識し始めてた頃です。