それはいずれ帳尻の合う、発達の問題だった
その後、音楽を聴かせたり、映像を見せたり会話をして注意を引いていればある程度は乗り物に乗れることがわかり、チャイルドシートに徐々に慣らしてメインの交通手段は自家用車。ドライブ中はカーステレオで彼の好きな音楽をいつも聞かせていた。飛行機座席の個人用エンタテイメントシステムに頼り切ったフライトを乗り越えて欧州の町に渡ったとき、公共交通機関が市民の足となっていたその町ではバスもトラムも当初やはり恐怖だった。欧州は、日本などより遥かに子どものしつけに厳しい社会だ。
だがもう4歳になっていた息子は、やはり私が横に付きっきりになった状態ではあるもののiPodで音楽や映像を見ていれば乗れるようになった。6歳になったとき、彼は初めて「車窓を眺める」ということを始め、外の風景を見てぼんやりすることができるようになった。
その頃には、既に欧州の小児科医に発達上の見解を告げられ、あれこれの理由もわかっていた。ああそうか、あらゆる情報が脳の中で縦横無尽に走り回ってしまう脳のクセがある子だったら、電車という混雑している密閉された空間は、さぞかし情報過多で不快で怖かったろう。理由がわかれば、対処法は考えられる。
医師からは、でもこれは幼い男児にはとてもよくあることだ、彼はとても知的なので心配はない、6~7歳が一つの発達段階の壁ですよと聞いていた通り、彼の頭の中ではどんどん発達が進んで、公共交通機関に静かに乗るという、「普通」のことが「普通」に出来るようになった。
7歳の今では、ロンドンの地下鉄の中で英国の10歳児が読む分厚い文庫本を読み、目的地までしらっと移動するまでになっている。そんな大騒ぎの時代などなかったかのように。
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