子連れ移動を「ツラいもの」にするのは世の中の視線

電車

公共交通機関は子連れ移動の鬼門……

子どもと過ごした夏休みの風景を思い描いて浮かぶのは、日常や旅行先での数々のシーン。水辺や、青々とした芝生に照りつける薄レモン色の陽射し、日陰で食べる冷たい素麺に、カラカラと氷の入った乳酸菌飲料。

でもなぜかそこに酸っぱい匂いがするのは、そう、やはり子どもの乗り物酔いやゆるく何かが流れ出すオムツ、大号泣、子連れ道中のしんどさの酸っぱい記憶のせい。

子連れ旅行のツラさとは、実は子ども本人や親だけだったら案外笑って逃がせるものが多い。泣こうが喚こうが戻そうが漏らそうが、対処さえすればそのアクシデントはそこで終わり、意外と乗り切れてしまう。

あるいは、どうしたご機嫌の悪さか一向に泣き止まなかったり、たまたまパンツやタオルの替えがなくて「もう、目的地までいっそこのままだな!」と乗り切れなかったりしても、やがて目的地はやって来る。

だけど、子連れ旅行を決定的に「ツラいもの」にするのは、他人の目だ。他人の視線、せき払いや大仰なため息、聞こえよがしの呟き、時にはあからさまに席を移られたり、逆に親切な気遣いをされたりする、それが全て申し訳なさや自責の念から、 実際の数百倍の重さで親にのしかかってくる。

泣く子ども、恐縮する親、冷たい視線……どんどん事態を悪くする負のスパイラル

周りの苛立ちや心配や無関心でさえ、ありとあらゆる反応が残酷な鋭さでもって親に刺さる。親を恐縮させ、萎縮させ、人に迷惑をかけたという負い目から気を立たせ、子どもにいつもと違う空気を感じさせ、事態を一層の混乱、阿鼻叫喚へと導く。

親はそんな時、自棄になって「もう無理!」と声の限りに叫び、その場で子どもごと消えることができたらどんなに楽だろうと夢想するのだ。

「子どものしつけがなっていないと思われている」「悪い親だと思われている」。戸惑い と恥ずかしさと怒りと悲しみがグルグル渦巻く中、自分は無能な親だ、この子は迷惑な子どもだと自分たちをこてんぱんに責めているのを、スマホに目を落としつづけて無関心を装う周囲の乗客は、どれだけ知っているだろう。


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