華南エリアの最大の都市・広州
港町を彷彿させる一徳路の海鮮問屋街「海味街」 (C)広東省中国旅行社
中国と異国が融合した広州文化
パリのノートルダム大聖堂を参考に建築されたゴシック建築のカトリック教会・聖心堂 (C)広東省中国旅行社
しかし、清代末期にアヘン戦争に負けた清朝政府が南京条約を締結した結果、広州、アモイ、福州、寧波、上海の五港が開港となり、貿易の中心は上海へと移っていき、広州の町は失業者であふれたといいます。その後、広州の町が息を吹き返すのは、1978年に始まった改革開放政策以降。香港からわずか180キロという立地条件を活かし、対外貿易の窓口として、また中国有数の工業都市として発展を遂げたのです。そんな風に一貫して貿易港として栄えてきた広州には、異国文化が自然に溶け込んだ独特の文化が存在しているのです。
広東語を誇りとする広東語文化圏
1880年開店の老舗レストラン「陶陶居」。言葉だけでなく、食にも中国一という自負を持つ広東人 (C)広東省中国旅行社
それというのも、広東語は香港やマカオのほか、世界の華僑の共通語として使われていることから、中国本土カラーが濃厚な普通話より、“カッコいい”と思われているからです。今では普通話のように使われている「お勘定」という意味の「買単(マイダン)」や、「タクシーを拾う」という「打的(ダーディ)」などは、広東語に憧れる若い世代が広めたと言われています。
2011年、広州の地元テレビの広東語チャンネルを標準語に改めるべき――という動きに対して、地元市民が強く反発し、2000人以上が集まる抗議集会にまで発展しました。それに対して、広東省政府は「批准を受けている限り、広東語などの方言放送ができなくなることはない」と明言したのですが、そんな一連の動きからも広州人の広東語へのこだわりを強く感じられます。2015年現在「普通話(標準語)を広め、広東語を残していく」という考えのもと、テレビやラジオといったメディアでは依然、広東語のコンテンツも発信されています。
とはいえ、最近ではホテルやレストラン、観光地などでは普通話は通じますし、若い世代を中心に普及率は上がってきているようで、広東語が話せないと旅行できない、というようなことはありません。
成長を続ける「世界の工場」広州の経済・物価
派手な看板が並ぶ北京路。どことなく香港を思わせる活気ある街並み (C)広東省中国旅行社
2014年度の広州市のGDPは前年比約8.8%増、16年ぶりに2桁成長がストップしました。それでも中国全土の7.4%という数字を上回り、伸び率は上海、北京をしのぐ成績でした。経済成長は順調かにみえますが、市民の経済全体の発展に対する満足度は2010年の57%から45%に下がり過去最低の数字となりました。これは、中国全土で問題になっている急激な物価上昇、貧富の二極化が、広州市民をも悩ませている結果です。実際、広州に住む日本人の多くが「思ったより物価が高い」と感じています。一昔前までは「かなり安い」と言い切れたのですが、今では「日本とそう変わらないと」というのが現状。特に、医療費や教育費は日本よりずっと高く、市民の生活を脅かしています。