クラブが僕の人生を変えた
ダムタイプの「S/N」というパフォーマンス公演が、ゴトウの人生を変えました。左が今は亡き古橋悌二さん(ミス・グローリアス)です。
ゴトウのクラブ初体験は、こうして、人生を変えるようなアート・パフォーマンスとの出会いから始まったのでした(ちなみに、クラブで見たドラァグクイーンのショーも間違いなく、アートでした。海外でもドラァグクイーンはファッションやアートのシーンでもめざましい活躍をしています。マドンナの名曲『Vogue』とかもゲイクラブでのドラァグクイーンのダンスから生まれました)
デビュー当時のジュヌヴィエーヴ。入り口はアートだったのに、どうしてこんな汚い姿に…
新宿の「リキッドルーム」、六本木の「ヴェルファーレ」、渋谷の「ON AIR」、日比谷の「ラジオシティ」…いろんなクラブに女装して出かけ(もちろん、そういう趣旨のパーティを選んで行ってます)、楽しんでいました。自慢ではありませんが、「リキッドルーム」のお立ち台で踊っていた時、たまたまフランスからデザイナーのJ.P.ゴルチェが遊びに来ていて、僕を指さして「あの汚い女装をどうにかしろ」と言ったという…(笑)
「リキッドルーム」と言えば、毎月、大規模なゲイナイトが開催されていて、めずらしく素顔(男装)で行ってみましたが、1000人くらいのゲイたちが楽しそうに踊ってる光景は、何とも言えずハッピーな高揚感に満ちていて、「こんなにたくさん、仲間がいたんだ…」って、「こんなに楽しそう、幸せそうに踊ってる…」って、感動しました。
それからも、新宿二丁目の「Delight」や「GAMOS」(どちらも、90年代を知ってる方にとってはとてもなつかしいお店だと思います)でいろんなショーをやったり、いろんなパーティに遊びに行ったりしました。いろんな人とクラブで知り合い、そういうつながりが、後に「90年代リブ」と言われるゲイムーブメントや、2000年以降のパレード&レインボー祭りにつながっていったのでした。また、HIV予防啓発を趣旨とするクラブパーティにも出演したり、オーガナイズしたりするようになりました(そこで僕のドラァグクイーンとしての旅が原点である「S/N」に回帰したのです)
Shangri-La@ageHaのステージ。世界に誇れるエンターテインメントです。
こういう話は、日本だけじゃなく、海外でも共通…っていうか、もっとスゴいことになっています。パレードの後には必ず大きなクラブパーティが開催されますし(シドニーのマルディグラではカイリー・ミノーグが出演したりします。レディ・ガガもサンフランシスコのパレードのアフターパーティで歌いました)、そもそもマドンナもレディ・ガガも、ゲイクラブで育ったのです。クラブは(特にゲイクラブは)、世界的な文化の発信地でもあるのです。
つけくわえると、たぶんみなさんご存じだと思いますが、アメリカの多くのアーティストは、シングルにクラブMIXを入れています。クラブでかかるかどうかが売上げを左右するからです。日本のアーティストもだんだんそういうふうになってきました。浜崎あゆみさんなどもクラブMIXのアルバム、発売してますよね。