緻密な計算とデータから割り出す、「春雨」の個性
看板も出ていない、裏通りにある宮里酒造の全景
創業は昭和21年(1946年)。沖縄海洋博覧会や沖縄サミットにも饗される実力をもつ、泡盛ファンの間で最も評価の高いブランドだ。
私も初めて春雨を飲んだ日から、あの繊細な中にも不思議な深さを感じる味わいと長く続く香ばしい後味に魅了され、以来大ファン。念願の宮里酒造訪問となった。
那覇市の住宅地にある小さな小さな酒造所。表通りからは見えず、看板もない、思わず見逃しそうな建物だ。ここからあの魅惑的なオーラを放つ泡盛が生まれるのかと思うとこれまた不思議な気分だったが、その商品設計は、先代たちの伝統技術と経験値にプラス緻密な計算と度重なる研究がベースになり生まれていることを、この日、三代目宮里徹さんとお話をしていてよくわかった。
春雨のおいしさはどこから?
泡盛はほとんどがこの横型式蒸留機。春雨も例外ではない
「いやぁ、米も水も蒸留機も差はないんですよ。熟成に関してさえも。あえて挙げるなら、製麹の方法、醸造や蒸留の仕方に多少違いがあるでしょうか。あとは、ハナダレ(蒸留の最初の部分)とスエダレ(蒸留の最後の部分)をどうブレンドするかなどで個性が出るのかもしれません」と答えてくださった。
週3回、1~2時間半程度の蒸留を行う蒸留機は40年使っている年代物だし、一度見渡せば蔵全体が見えてしまうほど小さな蔵の中。なにかスペシャルな機械があるわけではない。
さらに「たまたまうまくできたのかもしれない」と笑いながらおっしゃる。
「昔は、米をたくさん使うのは、下手な酒かすごくいい酒かどちらと言われました。鑑評会の常連だった父の経験を踏まえ、自分なりに濃い味でへたらないような味を目指し、作りわけをしています」とも語る。
伝統酒というものは、きっと“たまたま”の連続だろうと思う。そこをデータ化し、練り上げ、形にしていく作業が、今の「春雨」の味につながっていったのだ。
蒸留酒の中には、甘味成分も酸味成分も含まれない。しかし、不思議と甘く、心地いいほんのわずかな酸味が感じられ、後味に香ばしさが残るのが春雨だ。これをなんと味わいのコメントとして表現したらいいのだろう。宮里さんは、自身でこう詠う。
「古くも香り高く、強くもまろやかに、からくも甘い酒 春雨」
これが春雨の味わいなのだ。
泡盛は、タイ経由ではなく、琉球独自で生まれたもの!
ビン熟が春雨の個性だが、甕を使ってのプレゼンテーションも行う
15世紀、シャム(現在のタイ)、アユタヤ王朝と琉球国との交易で、タイ米を使用した蒸留酒「ラオ・ロン」が琉球にもたらされ南蛮酒として珍重されたという説。
宮里さんは、確かに「蒸留技術」は外から入ってきたが、600年の歴史がある泡盛の造り方はほかのどの地域も行っていないオリジナル性の高いものだとおっしゃる。もともと米が少ない琉球ではタイのみならず中国など周辺国からの輸入米で酒を造っていた。
泡盛のベースになる黒麹は、シャムより古くから交易のある中国から渡ってきたようだし、微生物的変異要素の少ない島国琉球で自然発生したという説さえある。
実際タイでラオ・ロンを飲むとまったく別物だというし、糖蜜を使用するため泡盛というより黒糖焼酎に似るという人もある。
西洋の蒸留酒の確立は17~18世紀であるのに対し、琉球泡盛は1400年代半ばにはすでに今の形になっていた。迎賓館機能を持つ、城というより神殿といえる首里城を見てもわかるように、中国やそれ以外の文化が複雑に融合する琉球である。海洋貿易と恵まれた立地による高度な情報収集力と独自性で、オリジナルの蒸留酒を生み出したことは疑う余地がなさそうだ。
春雨マイルドで、おいしいお湯割りを!
春雨マイルドのお湯割りを作る宮里さん
研究者ともいえる宮里さんは、「お湯割り」でおいしい泡盛の飲み方を考えられた。すでに商品として流通している「春雨 マイルド アルコール25%」を、片手で包み込めるくらいの細長いグラス(オリジナルだ)に、酒:お湯(ヌルめ)=5:5で入れて味わう。こうばしい香りにやわらかく滑らかな舌触り。ふうわりと甘い後味が品よく楽しめる。
左の掌サイズの細長いグラスはオリジナル。香りや味がわかりやすい
宮里酒造 098-857-3065
「焼酎街道をめぐる」宮里さんインタビュー記事はこちら