ベルサイユ宮殿のハイライト、鏡の間と噴水庭園

ベルサイユ宮殿、鏡の間

鏡の間は高さ12.5m、73×10mの細長い空間。第一次世界大戦後、ベルサイユ条約もここで調印された ©牧哲雄

ベルサイユの中でももっとも威圧的な空間が鏡の間と庭園だ。

鏡の間は宮殿の中央に広がる部屋で、17枚の巨大な窓の反対側に17枚の鏡を設置し、シャンデリアと燭台を置いて光の空間を演出した。王の栄光と歴史を描いた豪壮な天井画を造り、金色の装飾で飾り、壁には多数の銅像を置いてバロックらしい重厚さで部屋を飾った。
ルイ14世を描いた鏡の間の天井画

ルイ14世を描いた鏡の間の天井画。シャルル・ル・ブランによる傑作 ©牧哲雄

重要人物との謁見や議題の審議は、天井からルイ14世が見つめるこの空間で行った。そう考えると恐怖さえ感じてしまう。そしてそれ以上に強烈なのが庭園だ。

この庭園、とにかく広い。宮殿も合わせた敷地面積は約1,000ヘクタールで、東京ドーム概算で220個分以上。当時はこの10倍の広さがあった。1789年のフランス革命を機に縮小されたが、それでも隅々まで歩いて見学するのはたいへんで、敷地内をプチトランというミニ電車が走っており、馬車や自転車も貸し出されていたりする。
鏡の間の華麗な装飾品

鏡の間の華麗な装飾品

全体はほぼ左右対称で、幾何学的に区切られたそれぞれの区画にテーマを与えて植物で飾っている。チューリップ園、水仙の庭、糸杉の小道等々、区画ごとに趣が変わる。
 

4パートからなるベルサイユ宮殿の構造

ル・アモーののどかな風景

ル・アモーののどかな風景。マリー・アントワネットの時代、田園風景を模したアモーと呼ばれる農村庭園が流行していた

ベルサイユ宮殿は主に4つのパートから成立している。それぞれを簡単に紹介しよう。

■宮殿
エントランスに続く建物が、全長550m、700超の部屋から成る宮殿だ。1661年に建築が開始され、約50年後に完成。マンサール設計、ル・ブラン装飾のバロック&ロココ様式による建物で、王族の住居であるだけでなく、数千人の貴族や高官がここに集まって政治を行い、1~2万人の従者が働いていた。鏡の間の他に、戦争の間、平和の間、閣議の間、王室礼拝堂、王の居殿、王妃の居殿、皇太子の居殿などがある。
宮殿と幾何学式庭園

宮殿と幾何学式庭園。ベルサイユはまさに花の都 ©牧哲雄

■庭園
「王の庭師」といわれるアンドレ・ル・ノートル設計の平面幾何学式庭園。平地を幾何的に切り分け、川や池・泉・運を造り、植物を整然と配して装飾した。庭園の中心は、宮殿からラトナの泉、緑の絨毯、アポロンの泉を経てグラン・カナル(大運河)、プチ・カナル(小運河)へと続く一帯だ。水なき土地に水を引き、水をふんだんに使って王の力を誇示した。 

■トリアノン
宮殿の北東方面にあるふたつの離宮をトリアノンという。ルイ14世が建てたのがグラン・トリアノン(大トリアノン宮殿)で、第一次大戦後にはここでトリアノン条約が締結された。ルイ15世が愛人ポンパドゥール夫人のために造ったのがプチ・トリアノン(小トリアノン宮殿)で、後にルイ16世によってマリー・アントワネットに贈られた。
プチ・トリアノン

プチ・トリアノン。マリー・アントワネットは宮殿を嫌い、こちらの離宮で過ごすことが多かったという

■ル・アモー
プチ・トリアノンの背後に広がる一帯はル・アモーと呼ばれ、マリー・アントワネットの命で造られたことから「王妃の村里」といわれている。川や池や植物をランダムに配し、自然を模して設計された風景式庭園は、幾何学式庭園と見事に対照をなしている。12軒の農家の他に、マリーが愛人と密会した愛の殿堂などがある。