困難な時代を超えて40年以上も続いた愛の奇跡
あまり詳しくは書きませんが、エドガーとクライドは明らかに恋に落ち、愛し合い、生涯を共にしました。初めて二人が出会ったときのキラキラした感じ、エドガーがクライドを補佐役に選んだときの浮き立つような気持ちの表れ、週末に二人で遠出をしたときの喜びよう、『ブエノスアイレス』を彷彿とさせるような激しいぶつかりあい…それらは間違いなく、男どうしの恋(ロマンス)でした。そして公私にわたって40年以上を共に過ごし、二人ともいいおじいちゃんになりながら、いつものようにいっしょに朝食を食べたり、愛情を表現するシーンには、ちょっと言葉では言い表せないような感動を覚え、目頭が熱くなりました。
たぶん、70代の男性2人(かなりリアルな特殊メイクが施されています)が愛を交わす場面には、多くの人が衝撃を受けたと思います。ロコツに「キモい」と言う人もいることでしょう。
でも、いやなものを見た…と顔をしかめていたかもしれない観客の横で、ゴトウは号泣していました。
クライド・トルソンが彼のアシスタント・ディレクターに任命されたのは1930年。彼らの時代はゲイにとって壮絶に厳しい、ゲイとして生きることが絶望的に困難な状況でした。
エドガーは子どもの頃から母親に「男らしくあれ」「アメリカでいちばん権力をもつ男になれ」と教えられて育ちました。1つだけ映画の中のエピソードを紹介したいと思うのですが、母親がエドガーにこう言って罵る場面があります。
「あのダフィ(水仙=ダフォディル=女々しい男を意味するスラング)と呼ばれる子はどうなった? 女装させられて学校でさらし者になって、6週間後には拳銃自殺したのよ。あなたは女々しい男などであってはいけません。そんな子は要らない。死んだほうがましよ」
その言葉はエドガーにとって「呪い」のように響き、彼は「結婚できない男は半人前だ」というプレッシャーに苛まれるようになります(当時の多くのゲイがそういう状況にあったと思います)
それゆえ、エドガーもずっと結婚を考えていましたし、そのように行動したこともありました。が、最終的には、女性との(偽装)結婚はせず、クライドとの愛ゆえに、終生クライドと添い遂げたのです。
その愛の真実を、一途な思いの尊さを、どうしたら「キモい」などと笑うことができるでしょう。
ゴトウは泣かずにはいられませんでした。