世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

ヴィエリチカ岩塩坑/ポーランド(4ページ目)

巨大な岩塩層を持つヴィエリチカの地下には、アリの巣のように張り巡らされた深さ300m、総延長300kmに及ぶ坑道跡がある。ここで坑夫たちは岩塩を採掘するだけでなく、地下に巨大なホールや礼拝堂を造り、神々やドワーフの姿を彫って地下都市を築き上げた。今回はポーランドの世界遺産で、神秘的な地下博物館として営業を続ける「ヴィエリチカ・ボフニャ王立岩塩坑」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

ヴィエリチカ岩塩坑の歴史

坑内に引かれた荷車の線路跡

坑内に引かれた荷車の線路跡。荷車は馬に牽かせていた ©牧哲雄

この辺りの岩塩層が作られたのは2,000万年ほど前だといわれている。当時海だった土地が陸に囲まれて塩湖となり、やがて水が蒸発して塩の層ができあがる。これが沈降して上に土が堆積し、地下に岩塩層が取り残されることになった。

坑道の壁面

坑道の壁面。何気ない模様が美しい ©牧哲雄

付近の地下水から塩水がしみ出すことは紀元前から知られており、塩水を干して塩が作られていた。岩塩の採掘がはじまったのは10世紀頃からといわれている。

ちょうどその頃、この周辺にはいくつもの都市国家が栄えていた。ミェシュコ1世はこれを統一し、ポーランド公国を興した。1025年、ローマ教皇によって王の座を認められると、ポーランドは王国を名乗るようになる。そして1038年、国王カジミェシュ1世は首都をポズナニからクラクフに遷都する。

カジミェシュ1世はクラクフ近郊にあったヴィエリチカの採掘権を得ると開発を進め、1044年、世界初となる採掘・製塩会社を立ち上げる。当時の人々にとって、塩は味付けはもちろん、魚や食料の保存に欠かせないものだったが、内陸部では塩を手に入れるのが難しく、非常に高価な商品でもあった。

 

そのためここで採れる塩は高値で取り引きされ、ポーランド王国に莫大な富をもたらした。14世紀以降、ヴィエリチカ岩塩坑ひとつで王国の利益の30%を稼ぎ出し、塩は「白い金」と呼ばれるまでになる。19世紀頃には衰退するが、岩塩坑は最終的に9層構造、深さ327m、総延長約300km、部屋数約2,000に達した。

ヴィエリチカ岩塩坑の見所

塩のカリフラワー

坑道を支える支柱と、支柱を覆うように固まった塩の結晶。通称「塩のカリフラワー」 ©牧哲雄

現在見学できるのは、深さ64~130m、長さ約3.5kmの区間のみで、訪問はツアーに限られている。

見所は坑道やトンネル、掘削機など採掘のための施設、坑夫たちが働く様子を表した像などのほか、すでに紹介した「聖キンガの物語の間」「聖キンガ礼拝堂」「ドワーフの間」などがハイライトとなる。

聖アントニー礼拝堂の祭壇

聖アントニー礼拝堂の祭壇。湿気でイエス像が溶けかけている ©牧哲雄

空間としてはほかに、礼拝堂のひとつである「聖アントニー礼拝堂」、岩塩坑を訪れたコペルニクスの像がある「コペルニクスの間」、ゲーテの像がある「ワイマールの間」、カジミェシュ1世の像や掘削機がある「カジミェシュ大王の間」、守り神が祀られている「善霊の間」、ナチスがポーランドを占領した際に造った「エンジン工場」、坑夫のための「バスケット・コート」などを見学できる。地下では博物館やレストラン、土産物屋も営業している。

また、見学途中に現れる地底湖は人工のもので、地下水をここに集めて処理していた。地底湖の塩分濃度は30%にもなり、ここに入ると死海のように浮くらしい(もちろん遊泳禁止)。
 
なお、こうした地下水や観光客の呼気がもたらす湿気によって岩塩の溶解が進み、ヴィエリチカ岩塩坑は1989年に危機遺産リストに登録された。しかし換気装置の導入が進むと、1998年にリストから削除された。

 

  • 前のページへ
  • 1
  • 3
  • 4
  • 5
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます