モンサンミッシェルと大天使ミカエルの降臨
サイドから見たモンサンミッシェル。干潮時、干潟からしか見れない光景だ
大天使ミカエルの像
まだキリスト教がこの地に来る以前、ケルト人たちはこの島を聖地して敬い、墓の山(モン・トンプ)と呼んで奉った。
この島がモンサンミッシェルとして有名になるのは8世紀からだ。708年のある夜、モンサンミッシェル近郊にあるアヴランシュの街の司教オベールは、夢の中で大天使ミカエルにこう告げられる。「この岩山に私を祀る聖堂を建てなさい」。
島の街並みから修道院を見上げる
オベールはその穴を天使による奇跡の証であることを確信し、ついに聖堂の建築を開始する。聖ミカエルの山=モンサンミッシェルのはじまりだ。現在アヴランシュのサン・ヴェルジェ教会に保管されているオベールの頭蓋骨には穿たれた穴がハッキリ残っているという。
巡礼地モンサンミッシェルとラ・メール・プーラール
ラ・メール・プーラール。オムレツといっても日本のものとはずいぶん違う。オムレツは前菜なので、ぜひプリ・フィックスのコースを楽しんでみよう
モンサンミッシェルから眺めた景色。右の建物がラ・メルヴェイユ
しかし、モンサンミッシェルは当時気軽に訪ねられるような土地ではなかった。干満の差は15m以上。干潮の際、海は10~20kmの彼方まで引いていき、そこから一気に戻りはじめ、6時間後には川さえさかのぼって満ちていく。潮の流れに多くの巡礼者がさらわれたことから、「モンサンミッシェルに渡る前には遺書を書け」と伝えられるようになったという。
ラ・メール・プーラールでは、オムレツは当時と同じ釜・手法で作られる
疲れ果て凍え切った巡礼者を癒やそうと、夫妻は暖炉の火を絶やさず、人々が到着するとすぐにひと皿の温かいオムレツを出したという。ホテル、ラ・メール・プーラール。ここではいまだに当時の方法でオムレツを作り、宿を提供している。
【関連サイト】
- ラ・メール・プーラール(公式サイト。英語、フランス語)