江戸時代からの交通の要所、戸塚。
賑わいの裏側にはマイナス点も
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かつての東海道、現在の国道1号のすぐ近くに戸塚駅がある |
江戸時代の日本の大動脈東海道が成立したのは1601年と言われています。そして、現在の戸塚の元となる戸塚宿が生まれたのは1604年。日本橋から数えて5つ目の宿場町で、約40kmの距離。これは当時の健康な旅人が1日に歩く平均的な距離だったため、多くの旅人は戸塚に最初の宿をとったのだとか。かの東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんも1日目は戸塚に投宿していますから、当時の戸塚の賑わいぶりは今以上のものだったようです。
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成田エクスプレスで戸塚~成田空港間は1時間40分強 |
その後、1887年に東海道線横浜駅~国府津駅間が開通。同時に戸塚駅が開業、1889年には横須賀線も開通しています。さらに1959年には横浜新道が開通、1987年には横浜市営地下鉄の舞岡~戸塚間が開業、続いて1999年には戸塚~湘南台間が開業と、戸塚の交通の要所としての役割は年を追うごとに高まってきました。湘南新宿ライン登場後はこれまでの東京駅に加え、新宿、渋谷などへも直通で行けるようになりましたし、成田エクスプレスを使えば成田へも乗り換えなしです。その結果、現在の戸塚の乗降客数はJR、地下鉄を合わせると約27万人(平成16年)、JRでは横浜に次いで横浜市内第2位(平成18年)にまで成長しています。
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2005年、再開発以前の旭町通り商店街。活気はあるものの、通りは狭く、古い建物も混じる |
こうした足回りの利便性向上と呼応するように、駅前の商業施設や商店街、周辺の住宅地も急激に開発が進みます。特に戦後の都市化の進展は目覚しいものだったそうです。しかし、あまりに急ピッチで進む開発に都市基盤の整備が追いつきません。その結果、戸塚区全体で現在に至るまで、様々なひずみが生じています。その代表的な例が戸塚駅西口です。
1960年代からの悲願、
駅西口の再開発がいよいよ始まった
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横浜市営地下鉄の駅もある戸塚駅東口。ぺデストリアンデッキの周囲に大型店が並ぶ |
戸塚駅には横浜市営地下鉄のある東口、いくつもの商店街が並ぶ西口の2つの改札があります。いずれの側も元々は駅に通じる道路が狭く、駐車場も未整備で木造住宅が密集、防災上危険な地域でした。それを変えようと、土地区画整理事業の都市計画が決定されたのは1962年。駅の東西をまたぐ21.8haもの広さが計画地域です。そのうち、東口は1982年から計画が具体化、1990年には開発事業が完了しています。
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地元商店の入る仮設ビル内の再開発情報掲示板。何人もが足を止め、熱心に読んでいた |
しかし、西口はごく最近になるまで計画はストップしたまま。こちら側には旭町通り商店街、戸塚中央通り商店街など5つもの商店街があり、利害の調整が難しかったからです。実際、現在、戸塚ウエストとして既存の商店などが入った仮設ビルは2002年に完成したものの、肝心の計画が確定しなかったため、2007年まで空家だったほど。それを考えると、現在進む再開発工事は地元の悲願と言ってもいいのではないでしょうか。
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現在の再開発現場。写真奥のビルが並ぶあたりを国道1号が走る |
さて、再開発が行われているのは駅西口の真正面から国道1号までの約4.3ha。国道沿いにはバスターミナル、タクシー乗り場などのある第1交通広場が設けられ、駅とは広い空中廊下で結ばれます。その両側には地元商店街の店舗や新しく出店する店なども含めた大きな共同ビルが建てられ、別の一画には区役所やホールなど公共施設、一般車が利用できる第2交通広場も。道路はもちろん、駐車場も整備されますし、これまで遠かったバスターミナルも近くなります。完成は第1交通広場の2009年から始まり、2012年までに順次という計画です。
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国道1号と交差する戸塚大踏切。ここをトンネル化、国道1号の渋滞軽減をはかる計画だ |
また、同時にもうひとつ、国道1号をトンネル化、踏み切り渋滞を解消する開発も行われており、こちらの完成は2014年以降。この2つの開発が完成すれば、戸塚の街は新しく生まれ変わるはずです。
戸塚駅周辺。どこがどう変わる?
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戸塚駅周辺の位置関係概念図。再開発エリアの正式名称はスペース的に入らないので略してある。 |
次のページでは住むという視点で戸塚を見てみましょう。