性のノーマライゼーション

もう一つ、著者がこの本で語っていたのは、突き詰めていけば障害者の性も健常者の性もない、あるのは人間にとっての性の問題だということでした。

24時間介助が必要な頸髄損傷の男性と脳性マヒの女性の夫婦。夫は鎖骨から下の感覚がありません。当然、セックスをしても快感はほとんど得られません。勃起もバイグラに頼っています。それでも、妻が喜んでくれることで精神的な満足感が得られるから、セックスをしていました。時間をかけ、介助なしで愛し合っていた2人。しかし、次第に生活はすれ違い、夫は体がつらいという理由で妻の誘いを断るようになりました。そして会話もほとんどなくなりました。

「子どもがほしい」という妻。
「子どもはまだほしくない。もう一度1人に戻りたいという気持ちもある」という夫。

常に介護者が必要な障害者は、性生活も介助者の気配を感じながら、ということになります。そのストレスは、健常者には想像できません。しかしそれをのぞけば、世にあまたあるセックスレスの夫婦と変わらない気がしました。

前出の脳性マヒ男性と健常者女性の夫婦も、結婚後、数年を経て、セックスの回数は減ったと言います。しかしそれも、健常者同士でも同じこと。

結局は、自分がどういう性のあり方を望むのか、その性のあり方を共有できるパートナーをどうしても見つけたいのか、そうでないのか。そういうことではないでしょうか。性が生活の重要な一部分だと思う人もいれば、そうでない人もいるでしょう。それは障害者も健常者も、本来、同じはず。

同じだと障害者も感じられ、私たちもそう言いきれる環境を作ることが、セックスボランティア制度を作るより大切だと感じました。性が生活の大切な一部分だとしたら、食も、仕事も、娯楽も同じように大切な一部分です。性は大きな声で言えないから逆に構えて考えがちですが、こうしたすべてを健常者も障害者も同じだと思えるようにする。そんな環境づくりを進めていくことで、性のノーマライゼーションも実現されるのではないでしょうか。

また、これも宮下のきれいごとでしょうか……。
でも一部分だけを取り上げて、これで困っている人がいるのだから対応しないと、という考え方にはどうしても賛同できないのです。

いろいろ考えさせられた本でした。
みなさんも、興味を感じたなら、ぜひ読んでみてください。
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