長野パラリンピックでサポート選手がメダル獲得
北京パラリンピック開催前にオリンピックにかかわった栄養士の協力のもと、現地の状況や食事に関する情報を得る。開催中は食事や栄養の情報を掲示したり、必要な選手にサプリメントや補助食品の相談も行った。 |
仕事上、どのような難しさを感じていますか?
内野さん:
効果的な指導をするためにできるだけ選手と会って直接話し、食事も共にしたいと思うのですが実際には難しいです。この障害者スポーツの栄養サポートを専属に従事したいですが、生活するための仕事もしていますのでそこにジレンマを感じています。
多くの方の協力を必要としていますので、全国の意欲的な栄養士・管理栄養士の方とネットワークを作りたいです。意欲的な若手栄養士にも期待したいところですね。
ガイド:
どのような時にやりがいを感じますか?
内野さん:
やはり選手が結果を出したときは一番嬉しいです。大会での目立つ結果だけでなく、目標を立てていたこと、例えば減量できたときや体調がよくなったときも同じくらい嬉しいです。
1998年の長野パラリンピックで、それまで食事のサポートをしてきたアイススレッジスピードレースチームがメダルを大量に獲得しました。そのときメンバーが、日の丸を掲げてアリーナから観客席に向かって挨拶をして周ったんですが、天皇両陛下の次に客席にいた私のところにきてくれたときは感激と感動で涙、涙でした! 忘れられない思い出です。
信頼関係が形になったと思えるときが、やっていてよかったと思える瞬間です。
ガイド:
この仕事を続けるために内野さんはどんなことを心がけていますか?
内野さん:
無理のないペースで継続こそ力なり、と思っています。できない時期があっても断念しないで、ちょぼちょぼながらも続けていくことが目標です。
選手は一生自分の障害と向き合いながら、長期間アスリートでいられることを生きがいと感じている方が多いのです。引退してほしくない選手も多くいます。私自身が生きる上で大切なことをたくさん教わりました。選手をずっと見つめていたい、一緒に年を重ねて生きたいと思うので、一生続ける覚悟で無理をしないように心がけています。
障害者スポーツ記事がきっかけ
ガイド:
そもそもこの仕事を始めたきっかけはどんなことですか?
内野さん:
大学院で栄養学の研究に携わっていたときに、実社会にもっと研究結果を活用できれば食生活が豊かになるのではないかと感じたのです。管理栄養士としてどの分野でお役に立てるかな……と探していたところ、『アクティブジャパン』という日本で初めて障害者スポーツを紹介する雑誌の創刊号を見つけ、興味を持ちました。15年ほど前です。スポーツ栄養には関心があったので、早速、車いす陸上のチームに「栄養士のボランティアは必要ないですか?
」と押しかけました。
ガイド:
まずどんなことから仕事をしたのですか?
内野さん:
選手のタイムを計ったり、体脂肪を測ったりしましたね。現場では知識以前にコミュニケーション力が必要です。まず信頼関係を築くことが重要なんです。
次のページでは、パラリンピック選手の栄養サポートをするには? についてご紹介します!