栄養士・管理栄養士のフィールドは幅広く、教育・研究職としての活躍の場もあります。相模女子大学学芸学部食物学科・准教授の野田艶子さんは、「栄養士をみなキレイにしたい」という考えで教育・研究に取り組まれています。現在の仕事と研究、この仕事につくまで、今後の活動などについてお話を伺いました。
どのようにして教育・研究の仕事についたのですか?
相模女子大学学芸学部食物学科野田艶子さんは、准教授という立場で教育・研究のお仕事をされています。 |
まず初めに現在の仕事や、この仕事につくきっかけについて聞かせてください。現在、どのような授業を教えていらっしゃるのですか?
野田艶子さん:
学校栄養教諭論、栄養教育論、栄養指導論、栄養指導論実習、食と健康、健康管理、特殊研究、卒業研究など栄養指導に関する授業を週に8コマ担当しています。
実は短大を卒業する時には、区の栄養士として就職が決まっていたのですが、助手をお願いしたいと教授から声をかけていただいたんですよ。
ガイド:
ということは、もともとは行政の栄養士を目指していたのですね?
野田さん:
小学生のころ、母が家に来る市の栄養士に食生活について相談し、食に関する知識を教わっている様子を見て栄養士に憧れていて、将来は市の栄養士になりたいなと思っていたのです。
ガイド:
就職が決まっていたにもかかわらず助手をお願いしたのは、教授が野田さんにこの仕事の適性を感じていたのでしょうね?
野田さん:
実習の後、片付けやお皿洗いなどみんなが嫌がる仕事をひたすらやっていたところを評価されたのかもしれません。お客さんが多い家で育ったので、人をもてなすのに慣れていたので、料理の手際はよかったと思います。また栄養指導論の試験はトップでした。
ガイド:
助手からスタートして現在は教壇に立たれていますが、どのような道のりだったのですか?
野田さん:
助手として働いて5年ほどして、将来的に教壇に立ちたいと思うようになったのですが、そのためには学問が必要だと感じました。私は短大を卒業していたので、30歳代で通信教育で大学を卒業し、40歳代で管理栄養士を取得しました。研究を続け50本以上の論文を書いています。さらに50歳代で大学の医学部に通って、医学博士を取得しました。教壇に立ったときには、助手時代から35年がたっていました。
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