「あんた、女だからね」の一言に
男性営業中心の企業の中で、「女性らしさ」を活かして努力し続けることは、並大抵の努力では足りません |
先方の部長は、どのように説明しても、一言も私と口をきいてくださらない。腕組みをしたまま目もあわせてくれないんです。思わず私は、「どんなことでもいい、ご感想をいただければ、今日はこれで帰りますから」と言うと、その方は、「あんた、女だからね。話ができない」とおっしゃいました。
「わかりました。私は女性としてうかがっているのではありません。会社を代表して一営業マンとしてここにいます。営業マンとして力がないということでしたら、私の上司におっしゃってください。でも女だからダメだというのなら、引き下がりません」と言ってしまいました。
すると、その方は、「お宅の会社は、何をやってるんだ!こんな内容に、ウンと言えるか!」と周りに響き渡るような大きな声で怒鳴り始めたんです。その瞬間、私は涙を流してしまいました。もちろん感動のあまりの嬉し涙です。
彼は、私が怖くて涙を流したと思われたようなのですが、この業界は男性社会、特に船の営業は、とても荒いのが通例で、男性の営業であれば、怒鳴られるのは普通のこと。ついに私にも怒鳴ってくれた。つまり、営業の1人として認めてくれたんだと胸がスっとしたことを覚えています。
「ありがとうございました。部長のお話を上司に伝え、再度検討し、結論を出して参ります」と私が言って、その場を去ろうとすると、彼は「若林さん、また来てくださいよ」と言ってくださったんです。
このとき、初めて男性と同等に扱ってもらえたんです。それは、嬉しかったですよ。その部長とは、これを機に、その後読書仲間になるほど親しくさせていただくようになりました。このお付き合いは、部長がソウルに戻り、病気で亡くなられるまで続きました。
お酒は飲めない分、きめ細かくフォロー
当時、下の子はまだ3歳、上の子は11歳。私は、時間通りになかなか帰宅できない。上の娘が見よう見まねで、冷凍食品を解凍して食事の支度をしてくれたり、本当によくやってくれました |
でもお酒の席は、大事なコミュニケーションの場。それができない分、私は、相手に細やかな情報を伝えることで、それを補おうとしました。例えば、お客様から見積もり依頼を受けても、こちらで抱えている件数が多いので、上がってくるまで時間がかかります。当然、お客様はイライラするわけです。そこで私は、進捗状況に加えて、先方にとって有益と思える情報をお伝えするようにしたのです。
客先の家族が一緒に日本にいらっしゃるようなときは、ディズニーランドのチケットを手配したり、日本製の電化製品などをプレゼントしたりと、自分なりに努力しました。
努力が実り、結果となって現れた「社長賞」
そうした努力を続けていると、いつの間にか、「若林さんに連絡を頼むとなんとかなるよ」と、取引先にも流れるようになっていたようでした。私を怒鳴ってくれた部長の後任の方も私を非常にかわいがってくださいました。女性営業が男性と同じ営業スタイルを取ろうと思っても、それは出来ない場合も多いですよね。でも、誠意と誠実と情報を提供し、努力するということを心がけることで、補うことも可能になると思います。
その後、当時の韓国の造船景気にも助けられ、8年間で売り上げを10倍に伸ばし、1994年には、利益貢献ということで社長賞をいただきました。でもここでも「女性だから」なのか、公表されることなく、社長室で関係者だけが立ち会うもとで、こっそりと授与されました。
いかがでしょう。「男性と肩を並べて」というよりも、「女性にしかできない」心配りや、粘り、しなやかさで、社内外の人脈と信用を得ていかれた若林さん。
嫌な思いは、ここに書ききれないくらいご経験されたと思いますが、ご本人は、「そういう時代だったのよ。でも、この時代にこうした経験できて良かったわ」とおっしゃるのです。もう、本当に頭が下がります。
この続きは、後編で!
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