【お菓子教室主宰】鈴江 史奈さん学校卒業後、辻製菓専門学校へ。同学校のフランス校へ留学後、洋菓子専門店へ勤務。その後、数々の経験と実績を積み、現在は神戸市内でお菓子教室「ガトゥ・ド・シナ」を主宰。 |
難 易 度 ★★★★☆
かかる費用 ★★★★★
一口食べるだけで、幸せな気分になれるお菓子。今回は、お菓子が大好きな方へ、「お菓子」を作るレッスンをされている、お菓子教室主宰 鈴江 史奈さんをご紹介します。1つの仕事へと進んでいく厳しさとやりがい、そして楽しさ。いろいろな角度から、「お菓子教室」の仕事に就いて語ってくださいました。最後まで、ゆっくりとご覧ください。
お菓子作りが好きだった ~お菓子への道~
お菓子の道に進んだ理由はとてもシンプルで「小さい頃からお菓子作りが好きだったから」。(笑)小学校の高学年から自宅でお菓子を作っていた覚えがあります。その頃はまだ、「お菓子」を職業にしたいとは、思っていませんでした。短大で専攻した学科は幼稚園の先生になるための「初等教育」でした。在学中、幼稚園へ実習に行ったとき「子ども全員へ向けて、常に同じように目を配る難しさ」に直面。それができない自分は幼稚園の先生になってはいけないと思い、将来の選択肢からはずしました。別の道を考えたとき「大学へ行ったと考えれば、社会人になるまでには、あと2年の猶予がある!」と考え、短大卒業後は、「辻製菓専門学校」へ通うことにしたのです。通学期間は1年。授業は平日および隔週の土曜日。実習と講習、そして理論、すべてをみっちりと勉強しました。1年後、フランスのリヨン近郊にある辻調理師専門学校フランス校へ半年間留学し、日本に帰国。帰国後は、現在に至るまで、お菓子にまつわる色々な仕事に携わってきました。フランスから帰国後、有名な洋菓子専門店でパティシェールとして勤務。しばらく洋菓子専門店で修行を積んで社会を見て、いつかは自分のお菓子教室を開けたらいいな、と思っていました。ただ、洋菓子店は、土日は必ず出勤。みんなが遊んでいるときに仕事をしなければならないのは、ちょっと辛かったですね。(笑)1年間勤務したあと、自宅でお菓子教室をするために洋菓子専門店を退職。ですが、「お菓子教室をはじめました!」と言っても、すぐに生徒さんが集まるわけではありません。しばらくは、平日の午前中は病院で受付のアルバイト。平日の午後と土日は、生徒さんから依頼があれば、自宅のキッチンでお菓子作りを教えていました。今からちょうど15年ほど前、1991年ごろのことです。
今までやってきた仕事すべてがプラスに ~お菓子教室を軌道にのせる~
自宅のキッチンで開いていたお菓子教室も、1999年ごろになると、口コミで生徒さんも少しずつ増えてきました。家族も使う自宅のキッチンでお菓子教室をしていたので、レッスン時間が長くなると、家族の食事の用意にも支障がではじめたため、同年の秋、自宅の1階をお菓子教室専用のキッチンとして改装。それまでは、心のどこかで「この先ずっとお菓子教室を続けるかどうか、わからない」と思っていたのですが、自宅にお菓子教室専用のキッチンを作ったことで「力をいれてやらなければ」と、気持ちも前向きに切り替わりました。「お菓子専用のキッチンを作る」という一歩を踏み出したもう1つの理由は、阪神淡路大震災でした。自宅が神戸市内にありましたので、しばらくお菓子を作ることができず「お菓子作りをしないとさみしい・・・。お菓子を作れるのは、とても幸せなこと。」と感じたのです。自分とお菓子の関係を、改めて見直すキッカケになったのだと思います。自宅の一部を改装してお菓子専用キッチンを作った約5年半後、自宅が転居することになりました。それを機に、神戸市内に店舗を借りて独立。現在のお菓子教室「ガトゥ・ド・シナ」をオープンしました。「お菓子教室を自宅以外の場所で」ということは、潜在的にずっと考えていたことでした。「このまま自宅の中にあるキッチンでお菓子教室をしていたら、ずっと両親の保護下にある。このままでいいのかな?」という想いがあったんですね。ですが、ずっとぬるま湯につかっていると、飛び出すのは、大変で勇気が入ることじゃないですか? その飛び出すタイミングが訪れた、まさにそのときに、思い切って今の店舗を借り、そこでお菓子教室「ガトゥ・ド・シナ」をすることにしたのです。現在はその教室で、定期的にお菓子教室をはじめ、アロマセラピーやプリザードフラワーなど、コラボレーションのレッスン企画等を開催しています。
自宅のキッチンでお菓子教室をはじめたころから、今のお菓子教室をはじめるまで、レッスンの合間に、いくつもの仕事をしてきました。例えば、カフェをリニューアルオープンするので手伝ってほしいと依頼され、お菓子の考案や製作をはじめ、全体的なリニューアルのアドヴァイスやアルバイトの指導。また、これまでに、いくつもの喫茶店やカフェと契約し、ケーキを製作。そのケーキを、定期的に喫茶店へ納品するケータリングなど。ときには、雑貨屋さんの中にあるカフェで「ケーキを作れるスタッフ募集」の張り紙を見て応募。厨房に入り、ずっとケーキを作っていたこともあります。いくつもの仕事を掛け持ちしていたため、早朝から深夜まで働くこともめずらしくありませんでした。ですが、いつでもスケジュールを優先してきたのは「自分のお菓子教室」。自分のなかで、何を一番優先させるべきことなのかは忘れずに、今日まで様々なことに取り組んできました。体力的に辛かった時期もありましたが、今までやってきた仕事すべてが、私にとってプラスになっていると思います。
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