井ノ迫純子さん(39歳)。フリー映像翻訳者。神戸市出身。関西外国語短期大学米英語学科卒業。 |
初めて観た映画で知った“字幕”の存在
川崎:
“字幕”や“吹替え”との出会いは、いつ頃だったのですか?
井ノ迫:
子どもの頃から「大草原の小さな家」などのアメリカのドラマを観るのが大好きでした。でも当時のドラマは、ほとんどが吹き替えだったので、外国人が日本語を話している姿に、違和感があったんですね。
ある日、洋画好きの父が映画館に連れていってくれたんです。作品は「007シリーズ」でした。外国人は英語を話し、画面の下に日本語が出てきた。そこで初めて、吹き替えと字幕の違いみたいなものをおぼろげに感じたような記憶があります。密かに「いいなあ、おもしろいなあ」というのが、ずっとどこかにありましたが、当時は、まだ子どもでしたから、それで字幕翻訳者になりたいと思ったわけでもありませんでした。
英語にはずっと興味があったので、外国語大学に進学しましたが、就職先して就いた仕事は、英語とは関係のないものでした。アメリカとのベンチャー企業ではありましたが、特に英語を活かしたいという気持ちもなかったですね。
川崎:
大学で英語を学んだのに仕事で英語を使いたいという気持ちはなかったのですか?会社勤務の間に英語に触れる機会は?
井ノ迫:
仕事で英語を使いたいという気持ちはあったのですが、仕事で使えるほどのレベルではないことは、自分でわかっていました。会社に勤めていたときも話題の映画を観に行くぐらいでしたね。 結婚後も仕事を続け、8年間勤務しました。勤務先は、名前の通った大企業で安定もしていましたが、20代後半になってきたときに「先が見えてしまった」んですね。どこかで会社に失望していた部分がありました。男女雇用均等法が施行されたとはいえ、有名無実の状態。これは何年いてもだめだなと。
軽い気持ちで始めた翻訳の勉強。当然ながら、最初からプロを目指す人たちとのチカラの差は、歴然。 |
”教養”として始めた翻訳の勉強
川崎:それで何かしたいと思われたのですね。
井ノ迫:
教養を身につけたいと思ったんです。それで、昔から興味のあった翻訳の勉強をすることにしたんですね。会社に勤めながら大阪の翻訳学校に通っていました。映像翻訳の勉強がしたいと思っていたのですが、当時、地方と言っても大阪ですが、映像のコースがなかったんです。それでも、やってみようかと思って、通信で勉強を開始しました。その後、翻訳の勉強に専念したくて会社を辞めました。
川崎:
映像翻訳の通信を始めた頃は、「教養を身につけたい」という気持ちは満たされましたか?
井ノ迫:
満たされたといえば、満たされたと思います。でもただ単に「(勉強できて)良かった」で終っていましたね。でも学ぶうちに、映像翻訳についての勉強をしたいという気持ちがどんどん強くなっていきました。それに私は、軽い気持ちで通い始めましたが、当然周りはプロを目指す方でしたから、翻訳能力の差というか、自分の実力のなさに愕然としていました。でも不思議と「やめようかな」とかは、一度も思わなかったんですよね。たとえ、プロにはなれなくても、将来何かしら役に立つと信じていました。
川崎:
翻訳って英語力と日本語文章力、それに広範囲にわたるさまざまな周辺知識も必要。井ノ迫さんの勉強知的好奇心を満たしてくれる翻訳の勉強があっていたのかもしれませんね。でも、勉強をやり出すと、宿題とか課題とか出ますよね。時間のやりくりが大変になってきたと思いますが、それは大丈夫でしたか?
井ノ迫:
当時は、まだ子どもがいませんでしたので、問題はなかったです。現在の子どもがいる状態から考えたら、比べ物にならないほど楽ですね。子どもが生まれてからは、やはり2~3年は中断せざるを得なくなりましたから。
川崎:
翻訳の勉強をするにあたって、ご主人の反応は?
井ノ迫:
「やれ、やれ!」みたいな(笑)。
川崎:
どういう風に切り出したんですか?
井ノ迫:
事後報告です(笑)私、これやるからって。信頼してくれているというか、私がやっていることに、文句は言わない人なんです。
こうして大阪で翻訳を学び始めた井ノ迫さん。この間に、長男を出産。翻訳を学び始めて1年半後には、ご主人が東京転勤に。念願かなって東京で映像翻訳を学ぶことになります。>>次ページへ