エネルギー出し切ってるか?
▲テンポスバスターズ 森下 篤史 社長1947年静岡県生まれ。71年静岡大学教育学部卒業、同年東京電気(現東芝テック)入社。レジスターなどの販売でトップセールスの常連となる。食器洗浄機メーカーへ転職した後、83年共同精工(現キョウドウ)設立、代表取締役社長就任。新規事業立ち上げに何度も失敗した末、97年テンポスバスターズ設立、代表取締役社長就任。2002年12月ジャスダック上場を果たす。参考記事『上司との「正しいケンカの方法」』。著書に『「戦いモード」で会社が変わる』 |
この「極限までやる」姿勢が、森下さんのモットーだと言える。
森下さんは、東芝テックを辞めて入社した食器洗浄器メーカーでも抜群の売り上げを稼いだ。しかし、オーナー社長に「会社を乗っ取られる」と恐れられ、追い出されるように独立することになった。
これまでトップセールスを走り続けてきた森下さんですら独立して、「飯が食えるか不安だった」という。どれだけ仕事をすれば、十分稼げるのか分からない中、自分をギリギリまで追い込み、状況を打開することを決意した。
模造紙の使い方
▲模造紙で自分の行動を評価した |
・必死に働いた結果、昼食を食べるのを忘れたら○を付け、覚えていたら×を付ける。
・夕方になるのも忘れて働いたら○を付ける。夕方になって「そろそろ帰ろうかな」と思ったら×。
・夜、帰宅するのを忘れたら○、帰ろうと思ったら×を付けた。
3つ「○」が揃ったら「よく働いた1日」としたが、実際○が3つそろったのは「月に2日ぐらい(笑)」だったそうだ。
テンポスバスターズ立ち上げ当初も、森下さんは猛烈に働いた。朝6時から見積りに出かけ、1日中外を走り回り、夜7時になると、会社に1度電話を入れ「もう1件ぐらいアポがないか」と聞いて、さらに夜9時ぐらいにもアポを入れた。
そうやってスケジュールを詰め込むと、お客のところで見積りを終え、大急ぎでトラックで移動しないと、次のアポに間に合わなくなった。余裕がないから食事からすべて、車の中で済ませていたという。
ここまで猛烈にやらなければ、新しいタイプの事業を立ち上げ、数千社に1社といわれる株式上場は、実現できないのではないだろうか。