創業者の娘婿として、証券業界に転進
▲“業界のエイリアン”と呼ばれ、「むしろこの業界にいる人がエイリアン」と反論 |
娘婿とはいえ、松井氏は証券業は素人、古手の番頭も多く残っている。思い切った決断をしようにも、やりづらい環境なのは想像がつく。人のいい“マスオさん”にでもなって、無難に過ごすのが得策なようにも思える―――。
しかし、バブルの絶頂、80年代後半に証券業界に転進した松井氏は、「非常識」がまかり通る業界の現状を目の当たりにして愕然とする。
証券営業の「エセ誠意」
入社早々、松井氏は営業責任者に就任する。当時の証券営業といえば“株屋”と呼ばれていた時代。「夜討ち、朝駆け」のドブ板営業、押し込み営業が当たり前だった。松井氏が「証券営業の価値とは何か?」と尋ねると、営業マンの答えは「自分を売る」「誠意を売る」というもの。もっともらしい答えに聞こえるが、松井氏はその空しさを見抜いた。
「それは単に売るものがないからそういわざるを得ないだけで、嘘といいますかエセだなと感じました。そもそも『信用』とか『顧客第一』とか標榜するのは中身がないことの裏返しなのです。お客さまはセールスマンの誠意を買っているのではありません」(TAC社長との対談より引用)
業界のエイリアン
業界の会合に顔を出すようになった松井氏は、ここでも疑問を感じるようになる。大蔵省(現金融庁)の統制のもと、各社横並びで同じような行動を取る。同業の社長同士「ちゃん」付けで呼び合うほど仲がよく、一緒に旅行やゴルフを楽しむ。激しい国際競争に直面した海運業界にいた松井氏には、その光景が奇異に映る。そこに溶け込もうとしない松井氏を、同業他社は“エイリアン”と呼んだ。
しかし本人は「むしろこの業界にいる人がエイリアン」と反論する。証券業界が画一的な手数料を設定し、横並びの戦略を取るのは、大蔵省の統制があるから。後を継ぐ決意を義父に伝えたとき、義父が「おやんなさいよ。でもつまんないよ」と言った意味がよく分かった。
「では、大蔵省の統制がなくなったら、どうなるんだ?」 そのとき証券業界は、本当の戦国時代を迎える。以前いた海運業界で、アメリカでの規制緩和が業界の競争を加速させ、業界が大再編されたことを思い出す。
証券業界に規制緩和が起これば、アメリカの例を見ても、大半の証券会社が大手に買収されるか、消えてゆく運命を辿るのは明らかだった。
松井社長は「他社と一緒に奈落の底に落ちたくない」と、大改革を決意する。
>>改革の抵抗勢力と、松井氏はいかに戦ったか?