モアイと夕陽を眺めよう!ラパヌイ国立公園
トンガリキのモアイ。イースター島はラパ・ヌイ語でラパ・ヌイ=大きな島。イースターの日にこの島が西洋に発見されたことから、イースター島の名がついた ©牧哲雄
今回はそんなチリはイースター島の世界遺産「ラパ・ヌイ国立公園」を紹介する。
イースター島とモアイのミステリー
半身が土に埋もれたラノ・ララクのモアイ。400体近いモアイがラノ・ララク周辺に集中している ©牧哲雄
オロンゴ岬から見た太平洋。モアイが造られていた当時、この岬を下り、写真に見える島まで泳いでいってグンカンドリの卵を取りに行く「鳥人レース」という祭りが開催されていた ©牧哲雄
空には所々真っ黒な雲が浮いている。雲は海に影を落しかけ、雲と影の間は霧のようににじんでいる。スコールだ。海のあちらこちらでスコールが荒れている。そんな大洋のドラマを、水槽を眺めるように見ていると、やがてモアイは真っ赤な夕陽に包まれる。
この孤島が西洋に発見されたのは1722年のイースターの日。オランダのヤコブ・ロゲフェーンは航海日誌に、「栄養失調の未開人が貧しく暮らしていた」と書く。1774年にはイギリスのキャプテン・クックがここを訪れた。クックはポリネシアの島々で水や食料を調達しながら航海を続けていたが、イースター島では十分な食料はおろか、真水さえ手に入れられなかった。日誌にはこう書いている。
5体のモアイが並ぶアフ・バイ・ウリ。タハイの村に近く、夕陽の名スポットでもある ©牧哲雄
クックはこの島の探索をあきらめ、足早にイースター島を後にする。これだけならイースター島はただの貧しい島だった。ところがイースター島にはモアイがあった。モアイは最大で高さ20m、重さ200t。900体を超えるモアイがそこにあった。
「機械力に関する知識のない民族が、このようにすばらしい巨像を立て、そのあとで前に述べたように、頭の上に円筒形の石をのせた、ということはほとんど想像を絶している」※
未開人たちは鉄器も車輪も綱すら持たない。モアイなど作れるはずも動かせるはずもなかった。
※増田義郎訳『クック 太平洋探検 1~6』岩波文庫より