若狭湾と三方五湖に挟まれた美しい漁港町「早瀬」

早瀬浦の前身「澤の井」時代からの、稲穂をアレンジしたレトロ感あふれるラベル。

「早瀬浦」を初めて飲んだはいつごろだっただろうか。

意識して口にしたのは、2005年の春。「純米滓酒 浦底」。
All Aboutにも記事を掲載したとき。
(関連記事→「うまいっと声に出して飲みたい日本酒29 早瀬浦の『純米滓酒 浦底』」)

骨太の濃醇旨口タイプが人気の中で、芯はあるけれどどこか瑞々しい優しさがあるところが印象的だったし、なにより、わが故郷福井のお酒であることがとてもうれしかった。

あれから3年、やっと、お蔵を訪ねることができた。
秋晴れの真っ青な空と若狭湾に面した美浜町の早瀬地区からみえる海と湖はキラキラと輝き、思わず深呼吸したくなるような気持ちよさだった。

海と湖に挟まれたところに早瀬地区がある。また、この地域は国定公園でもあり、湿地保存のラムサール条約にも登録される風光明媚な観光地としても知られている。

早瀬浦の銘柄名はまさに地元“早瀬”からきている。海から湖に入るところには珍しい海上信号もある。船の行き来が激しいところ。

涼やかな風が吹く若狭湾。汽水湖の水月湖、菅湖、久々子湖、淡水の三方湖、海水の日向湖の5つの湖が若狭湾から続く国定公園、三方五湖だ。


「昔から、北前船や樽廻船などが寄港する大きな市がたつ場所は“津”と呼ばれたようで、地元客を相手にしたマーケットがあったところは“浦”と呼ばれたようです」と歴史の話をしてくださるのが、三宅彦右衛門酒造(有)の12代目三宅範彦さん。

農大を卒業後地元に戻り家業を継いだが、地域の歴史をあまりに知らないことに気づき勉強会に参加。この地域が、脱穀用具の千歯扱き(センバコキ)発祥の地であることや全国に魚類販売をする画期的なシステムを大昔から持っていたことを知って、われながら驚いたとか。
さすが、歴史の古い若狭だねぇ。


白い土塀が青空に映える。昔は越前から京に抜けるメインストリートだったとか。

そろそろ一年を迎えようとする杉林がお客を迎えてくれる。


この三浜町は漁師町で、飲み屋や芝居小屋があったほど栄えた場所だったとか。大漁で酒、不漁でも酒と、漁師町ならではの地酒が密着したからりと明るい生活が想像できるようだ。

「農大小泉先生のもとを卒業し一年間は丁稚奉公。そのあと戻ってきてすぐに“早瀬浦”に銘柄チェンジし、普通酒ばかりだったところを特定名称酒造りにトライし始めました。ちょうど15年前です。しかし、銘柄を変えるのは伝票からなにから全部を変えないといけないので本当に大変でした。反発もありましたし・・・」と笑いながら教えてくれる。卒業してすぐというのにこの決断力はすばらしい。


入り口横にすぐ井戸。酒造りも生活もみなこの水。海からのミネラルが混じる軟水と硬水の中間ラインとのこと。醸造には向いているようで発酵力の強い水だとか。酒造りの前に必ず人が降りてお掃除するのだとか。

創業享保3年(1718年)。蔵のいたるところから歴史の香りを感じ取ることができる。

麹蓋(こうじぶた)。酒造りの要である麹米を造る箱状の道具。三宅さんたち蔵人の経験から生まれた手作りだ。

お蔵の中でも商品が買える。