届かなかった母の手紙
実はおじいさんも、大事なものをアメリカから持ってきていました。親族の方々にはこの時お見せし、直美さんたちには、旅の終わり、アメリカに発つ日の前夜に見せてくれたそうです。それは、お母さんが、日本に置いてきてしまった長男に宛てて書いた、直筆の手紙でした。(長男とのエピソードは、第15話 「夫のルーツをたどる旅 [1] …日系一世の悲話」へ)
この手紙が見つかったいきさつも、実に不思議なものでした。今回来日する直前のこと、アメリカに住むおじいさんの兄弟が引っ越しをすることになり、家を片付けていたら、古い物の中から偶然発見したのだそうです。
お母さんは、手紙の中で、息子への想いを切々とつづっていました。
会いたい、会いたい、会いたい。でも、もう会えないかもしれない……。
繰り返し繰り返し、書いているのだそうです。
そして、ちゃんとご飯は食べられているだろうか、食べていなかったらどうしよう?、でも親戚の○○さんはいい人だからきっと大丈夫……、と心配で揺れ動く気持ちもしたためています。
1人残してきてしまった長男に申し訳ないという思いは常にあったでしょうし、無理してでも連れてくればよかったとご自分を責めることも多々あったでしょう。お母さんの気持ちを思うと、切なくて涙が出てきます。
手紙には「これも運命だと思います」という一文もあったそうです。そして、
最後に「△△君(長男の名前)へ、母より」と結んでありました。
その手紙を書いた翌々日、お母さんはクモ膜下出血で急逝されたのだそうです。まだお若かったはずですが、まるでご自分の死期を察していたかのようでした。そうして、主を亡くしてしまったこの手紙は、投函されることなく、そのままひっそりとアメリカに残されたのです。
その手紙がもしもお兄さんの手元に届いていたならば、つらさや寂しさも少しは緩和されていたかもしれないし、離れていてもアメリカにいる家族との絆を感じることができたかもしれません。後年、弟であるおじいさんが日本に訪ねてきた時も、また別の対面シーンがあったかもしれないと思うと、口惜しくてやりきれなくて、また別の涙が出てきます。
ともあれ、母の手紙は、数十年を経て、今回ようやく海を渡ることができたのです。
山梨の旅で、直美さんが感じたこととは……